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眠らない教皇

2025.12.7-12.13 12.7(日) 宮小路バル、無駄歌謡祭、と大きめのイベントをすべて終えて、さぞや疲労コンバインだと思っていたのに、わりと心身が元気。家族でA珈琲店にてブランチをとり、さあ、今日はどうしましょうね。ということに。 このHP/MPならいけるのでは?ということで、シセロシスコの個展最終日に赴くため、東京、小伝馬町へ。 途中、1年分の生活費によって溜まったクレジットカードポイントを消費するため、日本橋の三越という、百貨店中の百貨店。もはや絶滅危惧種と言っても過言ではない、百貨店という建物で、娘と迷子ごっこを楽しみながら、食品売り場がある地下で、高い肉などを郵送してもらう段取り。肉屋では明らかな東京の中央区のマダムが「ぁたくし」という一人称を使って、わたしたちよりも高価な、はるかに高価な、サシの入った肉を注文している。すげえ量。 個展に手土産でも、ということで、お菓子売り場をウロウロしていると、かわいいマカロンが売られていて、色とりどり。娘とこれはいいね、なんて言って、手土産用に買おうと思ったら、14個入り7000円。嘘だろ。向かいには十勝おはぎのサザ

虹が溶けていく

2025.11.30-12.6 11.30(日) 妻が昼から推しのヴィジュアル系バンドKのライブに行くので、午後から娘とダラダラ過ごす。2日間の「宮小路バル」をやりきって、無事に大盛況で終わって、その安堵感もあるのだが、疲れてはいるけれど、ずっと眠るというわけでもなく、というのも、明日は無駄で落語会、週末は年に一度の「無駄歌謡祭」と、あと残り2イベントを残しており、休むに休めないというか、なんか、そういうので、ダラダラしつつ、娘とドラえもんのカードゲームなどをやる。日本語がある程度読めるようになっており、ルールブックを読み、初体験のわたしに対してレクチャーをしながら、ゲームを進める。負ける。 よる。静岡方面から、バチバチにアーティスティックなお二方をお迎えして、シセロシスコとわたしと娘と一緒にTで会食。途中からライブ帰りの妻も合流して、鴨肉を食べる。 12.1(月) ひる。ステージ上に高座を作り、落語会の準備。 よる。今年二回目の落語会は、前回同様、超少数で贅沢な距離感でライブの落語が聞けるスタイル。十二月の初っ端から、

地雷原のモグラ

2025.11.23-11.29 11.23(日) 昨日から北海道北見市に家族で滞在。2日目。 昼。念願だった「回転寿司のトリトン 本店」へ行き、6歳女児も積極参戦して3人で32皿くらいを食べる。 散々っぱら、魚を食べた後、友人の車で40分かけて「山の上の水族館」という、全国に1つしかない淡水魚オンリーの水族館へ。わたしが小さい頃から、この、道の駅的な場所はあったけれど、水族館はなかったので、娘を散策させ、楽しんでいた。幻の魚「イトウ」や「ティラピア」の巨大さ。大きい魚は原始を感じさせる。 当時、水族館は存在しなかったけれど、ここは、小さい頃に両親によく連れてきてもらった場所で、妹も一緒に遊んだ記憶が蘇る。ノスタルジア。象徴的な建物をバックに娘の写真を撮り、当時の記憶を共有する唯一の存在である妹に、思わず送る。人生は、同じことのようで違うことの繰り返し。違うことのようで同じことの繰り返し。 11.24(月) 朝早くの飛行機に乗り、

薬漬けのトンビ

2025.11.9-11.15 11.9(日) 妻。夏前から推していた若手俳優のサイン会?手渡し会?に行く。 午前中にTOKYOへ出立して、昼前後にイベントを終え、その後、横浜でバンギャ仲間と飯を食い、夜は宮小路へ帰ってきて、こちらにいるバンギャ仲間と飲むという、1日3アポのスケジュール。遊び散らかして、満足気に帰ってきた。 わたしと娘は、つかず離れずというか、なんかそれぞれの部屋で、絵とか描いたりしながら、Uにて晩ごはんを食べたりして、仲良く暮らす。 11.10(月) 遊び疲れて、くたばる妻。 昨日ようやく会えた、夏から思い続けていた念願の男は、非常に美しかったが、毒気がなく、物足りなかったとのこと。「やはり私は遺伝子レベルでバンギャ。」との弁を述べながら、疲れ果てている。 先週購入したシセロシスコの絵が届いたので、作者と一緒に額縁屋で額縁を選び、作者自らの手によって、わたしのお店に飾ってもらう。ゴールデンなマリアージュ。無駄無駄しさが増しました。 11.11(火) 昨日に引き続き、シセロシスコとコーヒーを飲みに行く。

マシュー、泣かないで

2025.11.2-11.8 11.2(日) 昼。 S装飾の絵画およびアクセサリーの展示が行われている個展のため、三島へ家族で行く。三島は電車でちょうど1時間しないくらいで着くし、町も水が多く流れている清涼感のあるタウンで、とても気に入っている。小田原の有象無象に疲れたときかつ、黄泉の国「伊豆」に籠もるまでもないとき、など、非常に優れた避難先となっている。 源兵衛川、という清らかな小川が流れているほとりの、レストランDとその上にあるキャフェーWにて、個展が開催されており、娘にデカいハートのピンバッジ、わたし、というか無駄用に絵画を一点購入。 源兵衛川は飛び石が敷き詰められていて、娘はそこをヒヤヒヤしながらキャッキャ言って飛び跳ねていた。清らかなタイム。 11.3(月) 大学生時代の先輩×2が、去年に引き続き、この時期に遊びに来るので、無駄を臨時営業。というか、来年からは文化の日は営業日とすることにした。彼らはわたしが北海道のはずれから横浜に出てきたとき、はじめて会ったカリスマであり、彼らの背中を追っかけてここまでやってきたといっても過言ではないのだが、あっという間に20

戦場はピーナッツで埋められた

2025.10.26-11.1 10.26(日) 16時までダラダラと過ごす。というか、さすがに前日までで疲れすぎた。バタンキュー。ヘアもセットせず、お忍びモードの格好で家のまわりをウロウロする。夕日が沈みかけている。 夜、お家でふたたびダラダラとしていると、娘が来週、学校で遠足的な行事があるらしく、その栞を見せてきた。 表紙に一発、「もくてき」という欄がある。遠足に目的もクソもあるかと、わたしなんかは思ってしまうのだが、彼女はそこに堂々としたひらがなで 「たのしみたい」 と書いてあった。 「たのしむ」でも「がんばる」でもなく、「たのしみたい」 こう、自分がそこにいるのだけれど、どこか一歩引いて、自分の行動それ自体を俯瞰しているような表現。「たのしむぞー!」じゃなく、「たのしみたい」。(できることなら…)みたいなニュアンスに、たまらずグッと来てしまった。親馬鹿ではあるのだけれど、この子のこういう所は、本当にわたしの子だろうかと思うレベルで、高貴な感じがする。とても風情があって良い。 10.27(月)

デリシャス★ゴージャス

2025.10.19-10.25 10.19(日) 20年間といえば、赤子が成人するまでの年月であり、自分の人生においての体感としても、それ相応の時間(ヴォリューム的な)だと思うのだけど、20年前に横浜の外れにある大学で知り合った友人夫婦と、未だに親しく付き合いがあり、今日は、家族で来訪。家族での小田原来訪も、すでに10回を超える。 わたしが19歳、彼女が18歳のときに出会ってから、その一年後に将来の旦那となる後輩が入学しており、バンドをやったり恋愛したり酒を呑んだり酒に呑まれたりした、いわゆる「青春」がそこにあった。 その後、わたしが暗黒の20代を過ごしている間に、なんの因果か、ふたりは結ばれ、わたしも紆余曲折ありながら、今の妻と出会い結婚し、娘が生まれたのが同じ年。0歳の頃から、ときたま一緒に遊ばせ、毎年交流を重ねてきたので、娘同士も非常に仲が良い。 我が家は親戚づきあいがあまりなく、娘は従兄弟的な人もいないのだけれど、向こうの娘がそういう立場で、「東京に住んでいるHちゃん」「小田原に住んでいるRちゃん」という、互いに良い距離感の友人みたいになっている。 夕飯にイナダ

サイボーグは古傷を隠す

2025.10.12-10.19 10.12(日) 夜。 先月、無駄で開催してくれたビッグなラヂオDJ3名によるDJイベント「JOJOJO」が、今月は東京・新橋で開催されるということで、遊びに行く。 新橋・銀座エリアというのは、わたしが20代の9割以上を「溶かした」思い出の魔都であり、お店へ行く途中、路地の、通りの、交差点の、至るところに断片化した記憶が染み付いている。 会うのは先月ぶりなのだが、DJ陣には「行きます!」とも言ってなかったので、3人共、突然の訪問にとても喜んでくれた。この日はDJの一人であるジョージ・ウィリアムズがバースデイ当日ということもあり、誕生日祝の会も兼ねていた。 相変わらず、選曲も喋りもお客のノリも最高の空間で、ピースフルかつハートウォーミングなイベントで、まるっと3時間くらい盛り上がったのだが、本日、ジョージ・ウィリアムズのラストナンバーというタイミングで、なんとわたしのアナログレコードがプレイされる。わたしが、2月にリリースした曲、そのイントロ、ギター・リフがフロアに響き渡る。 それだけでも大興奮だったのだけれど、そのまま、

幸い通りの魔術師

2025.10.05-10.11 10.05(日) 昼。 町のいたるところで、同時多発的にいろんなお祭りやら外呑みやらイベントが行われている日曜日。すべてのイベントを横目にみながら宇崎竜童のコンサートへ。徒歩圏内にコンサートホールがあるのも贅沢なこと。最近は「お、これは」という催し物がちょこちょことあるので、嬉しい限りである。 会場は先日の芸者イベント同様、ここも「笑点のオープニング」と同じ感じの年齢層で固められていて、吉幾三ではないが「まったく若ぇもんはオレひとり」というような状況であった。ホール全体にナフタレンっぽい匂いがした。それもそのはず、竜童翁は来年2月で80歳。よく声は出ていたし、何よりパワー系のギターが格好良かった。提供曲のセルフカバーの他、ダウンタウンブギウギバンドの曲もたくさん演り、「ダウンタウンといえば浜田・松本ではなく、和田・宇崎である」わたしにとって、とても良いライブだった。 夜。 餃子を包みたいという娘の要望で、餃子を包むが、いつの間にか、わたしよりもよっぽど上手になっていて、彼女からの注意を受けながら、3つくらい包む。軽く餃子を食べたあと、風呂

蒙昧フローラ

2025.09.28-10.04 09.28(日) 想像の3倍くらいダラダラして過ごす。娘もそういう気分だったのか、そればかりは、わたしにもわからないのだが、終始パジャマでiPadを観ながらソファでだらけている。ぼくも、起きたり寝たり、布団を上げて、また少し本を読んで、そのへんのドーナツを食べて、また布団を敷いて寝たりしていた。妻だけが外出用の服に着替えて、夕飯の買い出しや昼食はどうするのか、と気を揉んでいるのだが、今日ばかりはThe Damnedばりにニートを極めているわたしと娘は、気のない素振りというか、YESともNOとも言えないみたいな、真剣に善処したいとは思っている的な、政治家の答弁みたいなことを二人して繰り返し、相変わらずソファでだらけていると、いいかげん、妻が激おこ。ひとりランチへ出かけ、本日は別行動となる。 わたしたちは、前日に買ってあった「バックギャモン」を出してきて、娘とルールを確認しながら熱中。その後、なんだかんだ腹が減ったので、ふたりで、Sへ。大人びたサンドウィッチとアイスを食べる。 09.29(月) 9月もラスト2Days。 「バッチリ準備しました

冴子は砕け散った

2025.09.21-09.27 09.21(日) 通っている音楽教室の発表会ライブがあり、ライブハウスへ。出番はトリでJimi HendrixのFireという楽曲を演奏。同教室主催の「ビートルズセッションライブ」でもそうだけれど、『バンドで練習してライブにかける』のではなく、自分のパートをひとりで練習し、仕上げていき、本番一発でその場のメンバーで合わせるというのは非常に修行になるし、楽しい。発表会ということで、メンバーは講師陣が担当しており、これもプロと一緒に演奏できるというのは、なかなか刺激的で勉強になるものであった。会場、大盛り上がりでフィニッシュ。 音楽教室で楽器を練習し、発表会に出るなんていうのは、20代の頃の自分にとってはまったくロックンロールではなく、世の中のすべてを斜に構えて生きていたので、そういったものを小馬鹿にして毛嫌いして生きてきた。が、老若男女、市井の人たちが楽しく音楽を演奏し(そして昔対バンしていたような、尖った人たちよりも、よっぽど演奏が上手な人もいて)、それぞれがそれぞれのペースで高め合っている感じは、なかなかに素晴らしいものであり、まあ老いたとい

海の底から

2025.09.14-09.20 09.14(日) 縁あって実現できた、DJイベント当日。 DJ陣3名もお客さんも、鎌倉や東京から、遠路はるばる来てくれて、とても盛り上がった。準備しながら15時まで店で(今夜来るDJの)ラジオ生放送を聴いていて、「これから小田原へ行ってDJイベント!」と言ったその3時間後に、ご本人登場という体験が、個人的にはとてもグッときた。 最後は光栄なことに、リクエストいただき、飛び入りで一曲歌わせてもらう。これもステージの呼び出しまで(ふだんフジロックのステージでMCをやっているDJに)やってもらって、感無量。ムダロック。 また来年もやりましょう、と言ってくれて、幸。 集合写真を見ると、演者も客もわたしもスタッフもみんな、とてもいい顔をしている。「できあがった空間」というのは人間関係が作り出すアートのなかでも、極上のものだと思う。 娘は、二階店舗のカレー屋さんご夫婦の子と、二階で遊び通しており、妻も全力でイベントのほうを楽しめたということ。これも幸。 09.15(月) 昨夜のイベントの真裏の時間帯。お店の紹介でテレビ番組にチラッと出演していた