Latest

デリシャス★ゴージャス

2025.10.19-10.25 10.19(日) 20年間といえば、赤子が成人するまでの年月であり、自分の人生においての体感としても、それ相応の時間(ヴォリューム的な)だと思うのだけど、20年前に横浜の外れにある大学で知り合った友人夫婦と、未だに親しく付き合いがあり、今日は、家族で来訪。家族での小田原来訪も、すでに10回を超える。 わたしが19歳、彼女が18歳のときに出会ってから、その一年後に将来の旦那となる後輩が入学しており、バンドをやったり恋愛したり酒を呑んだり酒に呑まれたりした、いわゆる「青春」がそこにあった。 その後、わたしが暗黒の20代を過ごしている間に、なんの因果か、ふたりは結ばれ、わたしも紆余曲折ありながら、今の妻と出会い結婚し、娘が生まれたのが同じ年。0歳の頃から、ときたま一緒に遊ばせ、毎年交流を重ねてきたので、娘同士も非常に仲が良い。 我が家は親戚づきあいがあまりなく、娘は従兄弟的な人もいないのだけれど、向こうの娘がそういう立場で、「東京に住んでいるHちゃん」「小田原に住んでいるRちゃん」という、互いに良い距離感の友人みたいになっている。 夕飯にイナダ

サイボーグは古傷を隠す

2025.10.12-10.19 10.12(日) 夜。 先月、無駄で開催してくれたビッグなラヂオDJ3名によるDJイベント「JOJOJO」が、今月は東京・新橋で開催されるということで、遊びに行く。 新橋・銀座エリアというのは、わたしが20代の9割以上を「溶かした」思い出の魔都であり、お店へ行く途中、路地の、通りの、交差点の、至るところに断片化した記憶が染み付いている。 会うのは先月ぶりなのだが、DJ陣には「行きます!」とも言ってなかったので、3人共、突然の訪問にとても喜んでくれた。この日はDJの一人であるジョージ・ウィリアムズがバースデイ当日ということもあり、誕生日祝の会も兼ねていた。 相変わらず、選曲も喋りもお客のノリも最高の空間で、ピースフルかつハートウォーミングなイベントで、まるっと3時間くらい盛り上がったのだが、本日、ジョージ・ウィリアムズのラストナンバーというタイミングで、なんとわたしのアナログレコードがプレイされる。わたしが、2月にリリースした曲、そのイントロ、ギター・リフがフロアに響き渡る。 それだけでも大興奮だったのだけれど、そのまま、

幸い通りの魔術師

2025.10.05-10.11 10.05(日) 昼。 町のいたるところで、同時多発的にいろんなお祭りやら外呑みやらイベントが行われている日曜日。すべてのイベントを横目にみながら宇崎竜童のコンサートへ。徒歩圏内にコンサートホールがあるのも贅沢なこと。最近は「お、これは」という催し物がちょこちょことあるので、嬉しい限りである。 会場は先日の芸者イベント同様、ここも「笑点のオープニング」と同じ感じの年齢層で固められていて、吉幾三ではないが「まったく若ぇもんはオレひとり」というような状況であった。ホール全体にナフタレンっぽい匂いがした。それもそのはず、竜童翁は来年2月で80歳。よく声は出ていたし、何よりパワー系のギターが格好良かった。提供曲のセルフカバーの他、ダウンタウンブギウギバンドの曲もたくさん演り、「ダウンタウンといえば浜田・松本ではなく、和田・宇崎である」わたしにとって、とても良いライブだった。 夜。 餃子を包みたいという娘の要望で、餃子を包むが、いつの間にか、わたしよりもよっぽど上手になっていて、彼女からの注意を受けながら、3つくらい包む。軽く餃子を食べたあと、風呂

蒙昧フローラ

2025.09.28-10.04 09.28(日) 想像の3倍くらいダラダラして過ごす。娘もそういう気分だったのか、そればかりは、わたしにもわからないのだが、終始パジャマでiPadを観ながらソファでだらけている。ぼくも、起きたり寝たり、布団を上げて、また少し本を読んで、そのへんのドーナツを食べて、また布団を敷いて寝たりしていた。妻だけが外出用の服に着替えて、夕飯の買い出しや昼食はどうするのか、と気を揉んでいるのだが、今日ばかりはThe Damnedばりにニートを極めているわたしと娘は、気のない素振りというか、YESともNOとも言えないみたいな、真剣に善処したいとは思っている的な、政治家の答弁みたいなことを二人して繰り返し、相変わらずソファでだらけていると、いいかげん、妻が激おこ。ひとりランチへ出かけ、本日は別行動となる。 わたしたちは、前日に買ってあった「バックギャモン」を出してきて、娘とルールを確認しながら熱中。その後、なんだかんだ腹が減ったので、ふたりで、Sへ。大人びたサンドウィッチとアイスを食べる。 09.29(月) 9月もラスト2Days。 「バッチリ準備しました

冴子は砕け散った

2025.09.21-09.27 09.21(日) 通っている音楽教室の発表会ライブがあり、ライブハウスへ。出番はトリでJimi HendrixのFireという楽曲を演奏。同教室主催の「ビートルズセッションライブ」でもそうだけれど、『バンドで練習してライブにかける』のではなく、自分のパートをひとりで練習し、仕上げていき、本番一発でその場のメンバーで合わせるというのは非常に修行になるし、楽しい。発表会ということで、メンバーは講師陣が担当しており、これもプロと一緒に演奏できるというのは、なかなか刺激的で勉強になるものであった。会場、大盛り上がりでフィニッシュ。 音楽教室で楽器を練習し、発表会に出るなんていうのは、20代の頃の自分にとってはまったくロックンロールではなく、世の中のすべてを斜に構えて生きていたので、そういったものを小馬鹿にして毛嫌いして生きてきた。が、老若男女、市井の人たちが楽しく音楽を演奏し(そして昔対バンしていたような、尖った人たちよりも、よっぽど演奏が上手な人もいて)、それぞれがそれぞれのペースで高め合っている感じは、なかなかに素晴らしいものであり、まあ老いたとい

海の底から

2025.09.14-09.20 09.14(日) 縁あって実現できた、DJイベント当日。 DJ陣3名もお客さんも、鎌倉や東京から、遠路はるばる来てくれて、とても盛り上がった。準備しながら15時まで店で(今夜来るDJの)ラジオ生放送を聴いていて、「これから小田原へ行ってDJイベント!」と言ったその3時間後に、ご本人登場という体験が、個人的にはとてもグッときた。 最後は光栄なことに、リクエストいただき、飛び入りで一曲歌わせてもらう。これもステージの呼び出しまで(ふだんフジロックのステージでMCをやっているDJに)やってもらって、感無量。ムダロック。 また来年もやりましょう、と言ってくれて、幸。 集合写真を見ると、演者も客もわたしもスタッフもみんな、とてもいい顔をしている。「できあがった空間」というのは人間関係が作り出すアートのなかでも、極上のものだと思う。 娘は、二階店舗のカレー屋さんご夫婦の子と、二階で遊び通しており、妻も全力でイベントのほうを楽しめたということ。これも幸。 09.15(月) 昨夜のイベントの真裏の時間帯。お店の紹介でテレビ番組にチラッと出演していた

ドワーフの休息

2025.09.07-09.13 09.07(日) 昼から友人らが開催する海岸でのバーベキューに家族で参加。白ホッピー(外だけ)を8本たいらげる。娘も機嫌よく、アウトドアチェアに深く腰掛け、大人に混ざって会話などしていて 「ほおほお、これは随分良い感じですね。さすがお姉さん」 と思って、ジンギスカンをつつくなどしていた。 後半、足だけジャブジャブして遊ぼうと、娘と一緒に波打ち際へ。娘はぜんぜん乗り気じゃなかったのだが、なんとなく唆して連れてきて、足をジャブジャブしようとしたその刹那、彼女のビーチサンダルが波に攫われてしまった。 大号泣。 すぐにわたしだけ家に帰り、昨日買っておいた(いや、まじで昨日買っておいて良かった)おニューのサンダルを持って浜辺にバック。許しを乞うた。 「でも、流されて良かったの。もう小さくなっていたし、キラキラした飾りも取れていたしね。」 と、涙をこらえながら仰る人。 ほんとうに6歳児なのか?と思う対応に慄きながら、最大限の敬意をはらって、平謝りし、仲直り。 波。とてもこわい。 09.08(月) ちょっと涼しくなったとか言ってたら、

夕焼けバイオレット

2025.08.31-09.06 08.31(日) 金、土、と働いてからの日曜日は、ダブル・ブッキング。 無駄に講談師を呼んで「無駄講談」をやりながら、駅地下のマルシェにてグッズと中古レコード販売のポップアップストアを出店という、「なぜこのクソ暑い時期に、しかもこの連勤のタイミングで?」と、わたし本人が一番疑問に思って起きた朝。昨夜の満員の、というか今週は、昼夜問わずに、かなり店を使ったので、そういう類の疲れが、ぜんぜん残っているけれど、下がりきらぬテンションで起きられた。昨夜も手伝ってくれた有能なスタッフと、わずか8時間ぶりに合流して、手分けして分担。駅地下のほうには妻と娘も途中参戦し、わたしはつつがなく、講談の会を仕切ることができた。 両イベントともに、満足いく結果。 お客さん、ご協力いただいた皆さん、ありがとうございました。 そして俺、お疲れ様でした。 09.01(月) ちょっと、さすがに疲れていて、今日は、一日中グダグダしていようと布団でグダグダしている。 昨日の講談にも来ていた、無駄のお客さんから 「ここ数日ちょっと、

ASH ON THE ROADSIDE

2025.08.24-08.31 08.24(日) また真夏がぶり返してきていて、なんにもする気にならない。暑い。夏休みに入ってからというものの、毎日のように同じメンツで生活しているのでまあぶっちゃけた話、新鮮味、フレッシュさというのは少なくなってきていて、残り一週間となったこの長期休みも、ウィニングラン、クールダウン、流し、みたいな感じになっている。そんな日曜日の夕飯は自宅でシウマイ。 餃子ではなく、シウマイが食べたいという、渋めのチョイスをされた娘に同意し、皮を買ってシウマイにする。調理時、妻が異様に苛ついており、娘とふたりで気を使いながら、地雷に触れないように、最善の距離感を保って、夕飯の準備を見守る。シウマイと春雨サラダを美味しくいただく。キッチンペーパーの在庫が切れていたので、自転車で買いに行く。風呂を入れて順次入浴。娘は明日、先日、我が家に遊びに来た親友宅へ、今度はゲストとして遊びに行く日なので、始終オソワソワされていたけれど、就寝。 ベランダにてラジオを聴きながら、パイプを一服。 あんまり動いていないせいか、けっこう深めに夕方寝てしまったせいか、眠くならなかっ

あなたと食べたいペニーレイン

2025.08.17-08.23 08.17(日) 夜 仲良くしている珈琲屋夫婦とKにて夕食。 日曜夜ということもあってか貸し切り状態。だらだらと飲み食いして、わたしの地元でもある北海道料理を中心に舌で鼓を打った。この店のかぼちゃコロッケは、中学生のころに、母が弁当に詰めてくれたかぼちゃコロッケの味に、激しく似ており、ノスタルジックで旨い。ちょっと中山峠とか石北峠とか、ああいうところの頂上にあるお土産屋さんの「あげいも」の感じもする。その他、鮭のハラミ焼き、酒飲みが大好きなイカのルイベなどをいただく。 前回訪れたのはちょうど一年くらい前だったのだが、娘込みでの家族三人では食べたいものをたくさん頼めず(量的に)、今回は、わりとよく食べる夫婦を随伴したおかげで、ヴァリエーション豊かに食事ができた。 気づくと、21時半を過ぎており、娘が大人たちの話に飽き、目をこすっていたので、急いで帰宅、彼女は速攻で眠りについた。 夜中、いい感じに酒の回った妻による、(彼女の専門とする)2000年代ヴィジュアル系バンドの生態系についての熱い講義が、突然始まり、結果、わたしたち夫婦は2時くらい

迫りくる大鰻

2025.08.10-08.16 08.10(日) カリソメの独身貴族、二日目。 「惰眠を貪る」という言葉は、贅沢の極みだと思っているのだが、まさしく惰眠を、心身の回復に必要十分な量以上のダレた眠りを、昼前まで貪っていた。贅沢を味わっている証拠に、涎も出ていた。外は雨。というかミニ嵐みたいな状態で、珈琲を淹れてレコードとかラジオとかを聴いている。埼玉は晴れている、と妻からのメッセージで知る。娘がブランコに乗っている写真が添えられている。 ようやく15時ぐらいに空腹であることに気づき、いや、気づいてから二時間くらいは経過していたけれど、ようやくそろそろ飯食わなきゃ、というエンジンがかかり、Pへ行き、魯肉飯。今日のジェラートは三種類あるよ、と案内されたので、全部。華やかなプルーンが乗っかった豆花と、ポットに一杯のホット・チャイ。 Pを出ると土砂降りが深刻さを増しており、そんなに長い距離ではないのに、家にたどり着く頃には、全身ずぶ濡れになっていた。傘、というのは一体いつから進化していないのだろう。これが最終形態だとは、どうしても思えない。 08.11(月) 夕方。 妻&娘が

包丁+薔薇 = 賽子

2025.08.03-08.09 08.03(日) 昼。 友人のアーティストが展示をやっているので、箱根のNへ。 昨年の展示は別の友人と妻と、平日の昼間に車で行ったのだが、今年は娘も連れて行くので、箱根登山鉄道という、イカした名前の汽車に乗りGO。 というのも、彼女は重度の乗り物酔い、それも車×山道の組み合わせにめっぽう弱く、何度かタクシーで(それも超優良級のドライバーのスムースな走行で)、箱根の山にトライしたことがあるのだが、そのたびに 「嗚呼ああああ、きもちわるいいいいいい、嗚呼嗚呼嗚呼」 という、涙ぐましいお声をあげられる、というか、実際に泣いてしまうことが多々あったので、今回はトレインにて向かう。 標高500メートル近い山の中腹まで、「スイッチ・バック」という聞き慣れない、ターン走法を駆使しながら、目的地まで進む登山鉄道。なにせ名前が良いよね、鉄道なのに登山。登山する鉄道。真夏の緑碧した山の中に、人類が知恵と工夫でゴリゴリに通してきた鉄道、130年間現役で使っている鉄橋、などを味わいながら、度重なるスイッチ・バックの果てに、たどり着いた展示で、わたしはおニュー