灼熱のモスクワ
2025.06.08-06.14
06.08(日)
結婚記念日前夜ということで、夜は家族でTにて会食。
イサキのカルパッチョ、つぶ貝の紹興酒漬け、稚鮎のあられ揚げ、骨付き羊肉ローストなどをたらふく食べる。突如酒断ちしてから丸三年くらい経つのだが、結婚記念日ということで、三年ぶりに赤ワイン・白ワインを一杯ずつ、計二杯飲む。自ら決めた戒律を自らのタイミングで柔軟に破るというのもまた一興。
酒も煙草も若い頃に狂ったようにやりまくった挙句、割と早い段階で禁欲生活に入ったのだが、目指すべき第三段階としては、嗜好品とうまくつきあっていくというのが、本当にかっこいい成人男性って感じがする。
帰宅・入浴後、娘を寝かしつけると同時に爆睡。
06.09(月)
ロックの日。
妻が友人と会食ということで、夜は娘とふたり。
彼女の要望で久しぶりにナポリタンを作る。
わたしのナポリタンは、地元の、北国の最果て地区にあった古びた喫茶店の味を再現している。スパゲティは指定の時間よりも1分くらい長めに茹でる。まれにナポリタンをただの「スパゲティのケチャップ炒め」だと思っているのでは?という人がいるが(驚くことに外食でもそういうナポリタンが提供されることがある!)そうではく、ケチャップはあくまでも「ナポリタンソース」の素材として扱わなくてはならない。つまり、ケチャップとスパゲティは絶対に直接合わせてはいけない。ビビとコーザは絶対に会わせてはいけない。麺を茹でている間に、雪印のバターをフライパンで溶かし、ベーコンorウインナー(ハムでは雰囲気が出ない)→ 玉ねぎ → ピーマンの順に逐次投入し、そこにケチャップを素材として、調味料として投下する。赤黒く染まりゆくフライパン。ケチャップの水分が具材たちにまとわりつき、粘ついた赤と黒がダンスしはじめる頃合いで、牛の乳をショット・グラス一杯ぶんくらい入れる。白い衛兵たちが赤黒い地獄に消えていくのを見届けたら、いい感じにヘラで混ぜ、火を止める。これがナポリタン・ソースだ。ケチャップを入れているがケチャップのトゲトゲしさ、トマトっぽさは消え、ナポリタンとしかいいようのないジャパン産まれのソースになっているはずだ。そうなれば、あとは湯切りしたスパゲティをソースと和え、軽く塩&コショウをふりかけて、盛り付けるだけ。ここでも巷では「おまえは焼きそばを作っているのか?」と思うくらい、火をかけながらスパゲティを炒めてしまう狂戦士(バーサーカー)がいるが、火力は必要ないので火は止める。いい具合に麺とソースが合わさったら、皿に盛り付け、パセリ、粉チーズを大量にかけて出来上がり。
美味しいとの声をいただき、その後も就寝まで終始仲良く過ごせた。
06.10(火)
風呂上がり。家族三人でトランプをやる。
娘。神経衰弱については少し前から得意としており、こちらが敢えて手心を加えなくても、いい勝負になってきているのだが、ここ数日で「七並べ」をマスター。配札の運も味方しており、両親ふたりは後半「いや、パス…」しか言えず、彼女は圧倒的勝利を勝ち取っていた。
昼間は紙とペンで遊ぶ「○×ゲーム」をやった。5マス×5マスの拡張版を教えると、結構良い勝負になる。少しの戦略性みたいのを自分の頭でひねり出せるようになっており、面白い。
ただ、負けてしまうと、テンションや気分、体調によっては、在りし日の福原愛のように、悔しくて大泣きする。そこの塩梅を調整しながら、時折、味方として励ましつつ、適宜、敵として立ちふさがりつつ、という役割をリバランスしながらプレイする。これはこれで大人としては頭を使って良いのだが、そうこうしているうちに、こちらが普通に負けたりするので、とても悔しい。ちなみに妻は、相手が娘だろうが、全力で勝ちにいく。ゲーマー。
06.11(水)
午後。
ラジオのレギュラー番組収録。二週分録り。
相方が遅刻してきたので、一週目はレコードをたくさんかける回。
ゆらゆら帝国の「ミーのカー」をアナログ入手したので、これを30分ずっとかけているという回をどこかでやりたいんだが、さすがに一応、音楽トーク番組というアイデンティティでやっているので、24時過ぎのフリー時間帯でそういうのをやりたい。公共の電波に乗っけて不気味な曲をかけていく怪放送。
コミュニティFMというのは、非常に遊び甲斐があり、緊急時にはもちろん地域の緊急放送も担うという役目もある。地域ごとの閉じられたメディアというのは、とてもこれからの時代っぽいと感じていて、面白いことをやっていきたい。電波が弱いのが玉に瑕。
06.12(木)
朝。
娘と一緒に登校し、担任の先生にお話を聞くため、朝の教室まで随伴。
というのも、昨夜から彼女は「昨日の算数の授業での教師の沙汰が不服である」という旨の主張を繰り返していて、我々にも一生懸命説明してくれるものの、いまいち内容が伝わらず、そんなことでいちいち親が出向くのは過保護というか過干渉すぎるので放っておけばよろしい、と思っていたのだが、そこは理不尽に弱い令和キッズ。なかなか一人でそのモヤモヤを解決できず、なんなら思い出して不安になって眠れないとまで言う。
致し方なし。
これはモンスターペアレント案件にならないだろうか、という一抹の不安を抱えて、朝の学校についていった。カンカン帽とサングラスとフラミンゴ柄のシャツに、下駄で。
内容はまあなんということはなく、担任教師と娘のコミュニケーションの行き違いみたいなものだったが、理不尽の連続であった昭和型教育を受けてきた身としては(読み書き計算の基礎教育をのぞけば)義務教育とは、いかに降り掛かってくる理不尽をマネジメントするかのトレーニングなので、そのへんを独力で切り返す力を蓄えていってほしいと、不安が解消されてどこか安心しきった彼女の顔を見て思った。
06.13(金)
夜は無駄。
開店時からご新規さんが集ってカウンターが埋まり、わきあいあい。
22時くらいに人がひいたが、23時すぎに続々と常連、町の民、新規さんが集いだし、23時半に満席。たまにある、閉店前1時間でフィーバーというやつだった。激楽しの雰囲気で終宴。
最近、ドロヘドロをずっと読んでいるせいか、アッパーな浮遊感が強く、夢見心地な週末。大葉餃子をたらふく食べたい。
06.14(土)
根っからの魔法使いなので、雨に弱い。
妻が朝から仕事に行ってしまったらしく、娘がひとりでリビングにてゲームをやっていた。前夜は3時過ぎに帰宅しており、こちらとしては8時台に起こされるのはしんどいのだが、さすがにひとりで寂しくなったのか、わたしの部屋に来て「起きてる?」とか言ってくるので、起きた。
ランチはS食堂にて大葉餃子と生姜焼き定食。
食堂の娘と我が家の娘は歳も近く、一緒になって遊んでいる。たまたま友人の画家、S.Yも来店したので、一緒にその様を観る、われわれ。昔、子どもだったはずの大人たち。
その全体の様子が、オールドファッションな商店街の一幕という感じがして、とてもハート・ウォーミングであった。令和型商店街。
店を出ると、外の雨は止んでいた。
来週は激烈な暑さが1年ぶりにカム・バックの予報。
死なない程度に生きていたい。
BRAKE ON THROUGH TO THE OTHERSIDE.