雨霧の向こう側

2025.07.13-07.19


07.13(日)

気が狂うような猛暑が落ち着き、三日目。どうやら南の果てでは台風が発生しているようだが、とにかく、おもてが歩きやすい。

布団しきっぱなしでダラダラと映画を見て日中を過ごし、夜。

妻が会食ということで、娘と二人で彼女が愛するB・キングへ。

「次は番号札何番が呼ばれるでしょうか」ゲームをしながら、ジュニアサイズのバーガーを2つと、娘の残したチーズバーガーの欠片をジンジャーエールLサイズで流し込む。たまに食うと美味い。「身体に良い」とされていることだけを続ける生活というのも、人生の色気に欠ける。健康は大事だが、“暮らし”を疎外してまで追い求める健康というのは、もはやカルトである。「毒も喰らう、栄養も喰らう、両方美味いと感じて血肉に変えるのだ」と、その昔、地上最強の生物も言っていた。

だから、わたしは、娘がフライドポテトをカルピスにヒタヒタに浸して食べる癖を咎めない。

07.14(月)

午後。

下校後の娘。あきらかに虫の居所が悪そうな日。

宿題が終わったから見て、というので見てやり、算数の計算間違いを1問だけ指摘すると、

「あああ、パパ、臭い〜!あああ、くさいくさい、もう、あっちいって!!」

という謂れのない罵詈雑言をひどい態度で繰り出してくるので、心が折れてしまう。

「もうパパは、おまえと一緒に寝ることも、風呂に入ることもしません。なぜなら臭いからです」

と言い放ち、断絶。

仕事から帰宅後の妻に、事の次第を伝え、同じ空間にいたくないので、外出。

わたしの居ぬ間に、母・娘で激烈な問答と話し合いがあり、妻が娘に経緯を聞いたところ、ギャンギャン泣きながら「なんかイライラしてて、言ってしまった」という、最近よく彼女が使う供述をしている、とのこと。

帰宅したら謝るという言質を取ったというので、夕飯前に帰宅。「自分が勝手にイライラしたからといって、他人に罵詈雑言を撒き散らしてはいけない」と、人として当たり前のことを説諭しながら、こちらも謝罪を受け入れる。

女子なので、この手の諍いがあることは想定していたが、とにかく全てにおいて、わたしが考えていた時期よりも早すぎる。アーリー・アダプター。

07.15(火)

夏休み40日間、どうするの問題について、朝まで生討論。

真昼の家族会議を開催。

「行きたいところとか、言われてもわからない」

という旨のことを、泣きながら申されるので、それはそうかもしれんと思い、いくつか提案してみる。が、そもそもそこに行けば楽しめるという確証が持てないらしく、煮えきらないレスポンス。わたしなんかは「まだ一度も行ったことがなく、何があるのかわからないから、楽しみなのでは?」と思ってしまうのだが、彼女の個性ではそうではないらしい。

「行けばいいんでしょ!行けば!」

という、逆上のテンションになってしまわれたので、一旦保留。夏休みに入ったら、「パパが行きたいと思ったらパパは行くから、君はその時に、ついていきたいと思ったら、一緒に行ったらいいよ」という、妥協点に着地する。

自分が幼い頃は、もっとシンプルに、親が強権を発動して行楽先を決めていた気もする。

07.16(水)

4月から4kg、体重が増加している。

一ヶ月1kgペース。
このままいくと来年には12kg。再来年には24kg。三年後には36kg増加してしまう。

生まれ持った遺伝子と、暮らしにおいての習慣(の積分)が、良くも悪くも人を作っていく。わたしにおいて、4月から大きく変化した習慣は、娘の小学校入学だろう。

毎日の保育園への送り迎え(歩き)、が無くなり、加えて午後一に娘が帰宅するので、平日日中の外出が激減。しかも家の中では自室のチェアに座っていることが多く、たまの外出も家と目の鼻の先にある宮小路の往復くらいしかしない。それも電動自転車に乗って。

寄る年波は、日頃の暮らしかたを、馬鹿真面目に体調や体型に結びつけてしまう。優れた彫刻家のように、鮮やかに表現してしまう。エントロピーが増えていくことに抗わなくなっていく。

夕方。

娘が大磯ロングビーチの写真を見て、ここは行ってみたいという、少しの歩み寄りを見せる。

プール = 水着か。

明日から、歩こう。

07.17(木)

宿題の採点時に、今度は妻と激しく争ったらしく、今日は午後からパパDAY。

ピアノ教室から帰る途中で、保育園時代の先生と遭遇して談笑。娘的にはとても嬉しかったらしく、テンションが上がっていた。

「今日は占いの結果が良かったから」

今日は良いことが起こるというのは、ウチ、わかっていました、みたいなことを言うので、占いはどうやってやっているのですか、と聞くと

「まず、心の中で、"占います"と宣言します。そうすると、文字が心の中に現れて、"今日はいいことあるよ"と、書いてあります」

とても独特なスタイルの占術。

下校時に、友人のランドセルに荷物を入れる手伝いをしていたのだが、その最中に占いを行ったということ。

その直後にママと大喧嘩することは、占えなかったのか。

07.18(金)

「終業式」というのが、前期後期制の小学校には存在せず、夏休み前の最後の登校日という呼び名になっている。それが今日。

異常に葉っぱを茂らせた巨大な朝顔の鉢は、前日にわたしが学校から持参しており、彼女はそんなに荷物も持たずにサラッと下校してきた。夏休みの宿題シリーズを携えて。給食なしで帰ってきたので、昼はTのランチで海鮮丼。娘はいつものフライドポテトとカルピスを副菜にしていた。

夜は無駄。

14名の団体が来店したり、湯河原から「ずっと来たかった」という方が来てくれたり、無駄冥利に尽きる夜。

営業後、残っていた常連さんを巻き込み、半ば強制的に明日の縁日イベントのための駄菓子屋設営を行う。文化祭前夜の準備みたいで、今日一の盛り上がりを魅せる。

07.19(土)

近隣店舗と共同で夏の縁日イベントを開催。

正午きっかりから子連れがたくさん町に集い、駄菓子を買い、カラオケを歌い、わなげを投げて、射的をして、かき氷を食べていた。ピース。

東京から高校時代の旧友KがDJとフード提供で参加。先週ふつうに来店してくれた時に、急遽出演を依頼したYもDJで参加してくれた。(彼女も函館出身なので、道産子勢三名でのDJだった)

ふだんは酒浸りの大人たちが跋扈する宮小路ではあるけれど、こうして昼間にピュアなエネルギーを感じることができる機会は、いいものだなと思う。

娘は前半、わりとムスッとしており、Switchで(最近ようやく一人でも操作できるようになった)マリオをやっていたが、子クッパ城の前辺りまで進んだのに、ゼロ機になり、また一からやり直し。みたいな「マリオあるある」にブチ切れて、泣きわめいたりしていた。

ところが。

15時頃だろうか、保育園時代の無二の親友で隣の小学校へ通うことになり、離れ離れになってしまった女子が家族で来店。3月末から会っていないので、およそ3ヶ月以上ぶりの再会を果たし、テンションが急騰。ストップ高。思えばこの3ヶ月、こんなに全力で笑って楽しそうにしている姿を見たことが無かった。というくらい、興奮してふたりで遊んでいたところに、もう一人の同窓生女子も来店、合流。興奮が覚めやらぬ女たちは、小カマキリを捕まえるなどして、遊び狂っていた。

イベント自体も、最高で大盛況だったけれど、こうして、成長の過程で環境が変わっても、子ども達が再会して、楽しく遊べるような、そういう場所を演出できたのが、本当に良かった。それも夏休みの初日に。思えば、わたしも、北の外れの町で一緒だった高校の同級生と未だに、こういうイベントをやれている。稀で素晴らしいことだと思う。

昨日と同じような今日が来て、今日と同じような明日が来ることを、わたしは奇跡だと思っているし、愛おしく思う。

梅雨も明けたらしい。
いつか見たような夏が、また始まるぜ。

BRAKE ON THROUGH TO THE OTHERSIDE.

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デリシャス★ゴージャス

2025.10.19-10.25 10.19(日) 20年間といえば、赤子が成人するまでの年月であり、自分の人生においての体感としても、それ相応の時間(ヴォリューム的な)だと思うのだけど、20年前に横浜の外れにある大学で知り合った友人夫婦と、未だに親しく付き合いがあり、今日は、家族で来訪。家族での小田原来訪も、すでに10回を超える。 わたしが19歳、彼女が18歳のときに出会ってから、その一年後に将来の旦那となる後輩が入学しており、バンドをやったり恋愛したり酒を呑んだり酒に呑まれたりした、いわゆる「青春」がそこにあった。 その後、わたしが暗黒の20代を過ごしている間に、なんの因果か、ふたりは結ばれ、わたしも紆余曲折ありながら、今の妻と出会い結婚し、娘が生まれたのが同じ年。0歳の頃から、ときたま一緒に遊ばせ、毎年交流を重ねてきたので、娘同士も非常に仲が良い。 我が家は親戚づきあいがあまりなく、娘は従兄弟的な人もいないのだけれど、向こうの娘がそういう立場で、「東京に住んでいるHちゃん」「小田原に住んでいるRちゃん」という、互いに良い距離感の友人みたいになっている。 夕飯にイナダ

サイボーグは古傷を隠す

2025.10.12-10.19 10.12(日) 夜。 先月、無駄で開催してくれたビッグなラヂオDJ3名によるDJイベント「JOJOJO」が、今月は東京・新橋で開催されるということで、遊びに行く。 新橋・銀座エリアというのは、わたしが20代の9割以上を「溶かした」思い出の魔都であり、お店へ行く途中、路地の、通りの、交差点の、至るところに断片化した記憶が染み付いている。 会うのは先月ぶりなのだが、DJ陣には「行きます!」とも言ってなかったので、3人共、突然の訪問にとても喜んでくれた。この日はDJの一人であるジョージ・ウィリアムズがバースデイ当日ということもあり、誕生日祝の会も兼ねていた。 相変わらず、選曲も喋りもお客のノリも最高の空間で、ピースフルかつハートウォーミングなイベントで、まるっと3時間くらい盛り上がったのだが、本日、ジョージ・ウィリアムズのラストナンバーというタイミングで、なんとわたしのアナログレコードがプレイされる。わたしが、2月にリリースした曲、そのイントロ、ギター・リフがフロアに響き渡る。 それだけでも大興奮だったのだけれど、そのまま、

幸い通りの魔術師

2025.10.05-10.11 10.05(日) 昼。 町のいたるところで、同時多発的にいろんなお祭りやら外呑みやらイベントが行われている日曜日。すべてのイベントを横目にみながら宇崎竜童のコンサートへ。徒歩圏内にコンサートホールがあるのも贅沢なこと。最近は「お、これは」という催し物がちょこちょことあるので、嬉しい限りである。 会場は先日の芸者イベント同様、ここも「笑点のオープニング」と同じ感じの年齢層で固められていて、吉幾三ではないが「まったく若ぇもんはオレひとり」というような状況であった。ホール全体にナフタレンっぽい匂いがした。それもそのはず、竜童翁は来年2月で80歳。よく声は出ていたし、何よりパワー系のギターが格好良かった。提供曲のセルフカバーの他、ダウンタウンブギウギバンドの曲もたくさん演り、「ダウンタウンといえば浜田・松本ではなく、和田・宇崎である」わたしにとって、とても良いライブだった。 夜。 餃子を包みたいという娘の要望で、餃子を包むが、いつの間にか、わたしよりもよっぽど上手になっていて、彼女からの注意を受けながら、3つくらい包む。軽く餃子を食べたあと、風呂

蒙昧フローラ

2025.09.28-10.04 09.28(日) 想像の3倍くらいダラダラして過ごす。娘もそういう気分だったのか、そればかりは、わたしにもわからないのだが、終始パジャマでiPadを観ながらソファでだらけている。ぼくも、起きたり寝たり、布団を上げて、また少し本を読んで、そのへんのドーナツを食べて、また布団を敷いて寝たりしていた。妻だけが外出用の服に着替えて、夕飯の買い出しや昼食はどうするのか、と気を揉んでいるのだが、今日ばかりはThe Damnedばりにニートを極めているわたしと娘は、気のない素振りというか、YESともNOとも言えないみたいな、真剣に善処したいとは思っている的な、政治家の答弁みたいなことを二人して繰り返し、相変わらずソファでだらけていると、いいかげん、妻が激おこ。ひとりランチへ出かけ、本日は別行動となる。 わたしたちは、前日に買ってあった「バックギャモン」を出してきて、娘とルールを確認しながら熱中。その後、なんだかんだ腹が減ったので、ふたりで、Sへ。大人びたサンドウィッチとアイスを食べる。 09.29(月) 9月もラスト2Days。 「バッチリ準備しました