マシュー、泣かないで

2025.11.2-11.8


11.2(日)

昼。

S装飾の絵画およびアクセサリーの展示が行われている個展のため、三島へ家族で行く。三島は電車でちょうど1時間しないくらいで着くし、町も水が多く流れている清涼感のあるタウンで、とても気に入っている。小田原の有象無象に疲れたときかつ、黄泉の国「伊豆」に籠もるまでもないとき、など、非常に優れた避難先となっている。

源兵衛川、という清らかな小川が流れているほとりの、レストランDとその上にあるキャフェーWにて、個展が開催されており、娘にデカいハートのピンバッジ、わたし、というか無駄用に絵画を一点購入。

源兵衛川は飛び石が敷き詰められていて、娘はそこをヒヤヒヤしながらキャッキャ言って飛び跳ねていた。清らかなタイム。

11.3(月)

大学生時代の先輩×2が、去年に引き続き、この時期に遊びに来るので、無駄を臨時営業。というか、来年からは文化の日は営業日とすることにした。彼らはわたしが北海道のはずれから横浜に出てきたとき、はじめて会ったカリスマであり、彼らの背中を追っかけてここまでやってきたといっても過言ではないのだが、あっという間に20年間が経過していて、色んな意味で変わってしまったものや、変わらないものを体感。時の流れの無情さにゾクゾクした。いつものお客さんも少し来てくれて、公開同窓会をつつがなく終える。

11.4(火)

昨夜はそんなに帰宅と就寝が遅くならなかったので、わりと早い時間にスッと目が覚めーる。妻も今日は仕事がOFFということで、娘が下校する14時まで、どこかへ行きますかということになり、駅まで一緒に来てみたものの、特段行きたい場所もなく、いや、あるっちゃあるのだが、二人で帰ってくるには夕方を過ぎてしまうよね、くらいの場所とか用事だったりして、(当たり前だが)14時下校は、13時下校よりはゆっくりとできるけれど、それでも14時には戻ってこないとならず、まあまあ選択肢が限られてしまう。この時点で10時を過ぎている。

結果、「歩きますか」ということになり、いつもは行かない扇町くんだりまで、二人で散歩した。気候も、うってつけの感じでフィールソー良しであった。

思えば、結婚前もこうして上野や浅草や合羽橋を、ただアルコールを呑みながら歩きまくっていたような気もするので、散歩しているだけで、互いにデートになるのであれば、限られた時間とはいえ、それはそれで素敵なことだなと思う。

11.5(水)

娘の様子がだいぶ小学生らしくなってきた。

日本の、小学生の「おちゃらけかた」というのだろうか、変なところで揚げ足を取ったり、え?そこで?という場面で息ができないほど笑いのツボに入ったり、とにかく騒がしく、始終ずっと喋っている。

まあ時代の変化もあって、わたしの小学生時代とはぜんぜん異なるスクールライフなのだろうけど、こういうこの時期特有の「おちゃらけかた」とか「態度」とかは、世代が変わっても変わらないものなのだなあと思って、マジマジとそのおちゃらけた様を観察している。というか、ときに向こうからせがまれて、撮影もしている。

午後。床屋にて髪を切る際に、同じく娘を持つ店主と、子どもの時間感覚は大人とぜんぜん違うよねという話など。彼の娘はすでに高校生だけれど、つい3年前くらいの写真などを見て「うわあああ、懐かしい」と言うらしい。

たしかに、あの頃の3年間はめちゃめちゃ長かった。大人になると3年というのは一瞬なのだが。

我が家で撮影しているこの「おちゃらけ」の動画たちも、彼女は三年後に見て、懐かしがるのだろうか。

11.6(木)

夕方。

今日は娘をピアノに連れて行く担当の日。いつものようにレッスンルーム前で読書をしようかと思っていたが、なんとなく気持ちの良い月が出ていたので、軽く散歩。もうそろそろ終わりかなというタイミングで戻ると、何やら防音扉の中から嬌声が上がっている。嬌声というか叫び声。

ふと中の様子を確認したが、まあ先生と揉めているという様子はなさそうなので、そのままドアの前で待つこと5分。

「練習曲が完璧に弾けたので、うれしくて大声を上げてしまった」

とのこと。楽しそうに生きている。

帰り道、「人生楽しい?」と尋ねると

「楽しいことが多いが、楽しくないこともある」

「それはどういうときに、楽しくないの」

「ママとパパがウチにはわからない話をしている時、あと、めちゃめちゃ褒められている時」

褒められているときは、嬉しいよりも恥ずかしさが勝ってしまい、過度な褒めは楽しくない部類に入るらしい。

が、総じて今のところ、人生楽しいということなので、良かった。こういうのは絶対評価であり、自己申告がすべてだから。

11.7(金)

夜は無駄。

前週のハロウィーンが盛り上がりまくったので、町全体にそこまで人が出ていないように思えたが、まあまあの来客。

リクエストがあったので、何曲かギターを弾いて歌う。撮影してもらった動画を観る限り、なかなか良いプレイができた。

11.8(土)

インフルエンザが流行っているらしく、娘の小学校からのお便りには「感染対策のために一応、マスクをランドセルに入れておいてください。使うかもしれないので」的な文言が書かれていた。

小学校から家庭への指示は、こういうふわっとしたものが非常に多く、とても判断に困ることがある。

「図工の時間で〇〇を作っています。材料が足りない人は、作っているものに応じた材料を、次週持ってきてください。」

とか、「〇〇を使う人は持ってきましょう」的なことが多いのだが、娘に聞いても「?」みたいな返答が多く、親としては必要・不必要がさっぱり判断できない。まあ、「わすれもの」にならないように、使わないとしても持っていくに越したことはないでしょう、と思って持たせると、「そもそもその授業は今日やらなかった」みたいなこともあり、学校側のもろもろの事情もあるのだろうけれど、やるせない。

ともあれ、今回もそういうふわっとした指示があったので、無視もできず、みんなで昼飯をPで食べ、だらだらチャイなどを飲んだ後、100円ショップSへ。

小学生用っぽい、かわいいマスクが並ぶ中、真っ白なものをチョイス。

「あ、こっちの花がらもかわいいね?」という提案に対しては、

「シンプルなのが好きだから」というご発言。

「シンプル」って表現を、小学生のときに使ったことがあるだろうかと、ゴテゴテした花柄のセーターを着用している中年男性は思った。

BRAKE ON THROUGH TO THE OTHERSIDE.

Read more

戦場はピーナッツで埋められた

2025.10.26-11.1 10.26(日) 16時までダラダラと過ごす。というか、さすがに前日までで疲れすぎた。バタンキュー。ヘアもセットせず、お忍びモードの格好で家のまわりをウロウロする。夕日が沈みかけている。 夜、お家でふたたびダラダラとしていると、娘が来週、学校で遠足的な行事があるらしく、その栞を見せてきた。 表紙に一発、「もくてき」という欄がある。遠足に目的もクソもあるかと、わたしなんかは思ってしまうのだが、彼女はそこに堂々としたひらがなで 「たのしみたい」 と書いてあった。 「たのしむ」でも「がんばる」でもなく、「たのしみたい」 こう、自分がそこにいるのだけれど、どこか一歩引いて、自分の行動それ自体を俯瞰しているような表現。「たのしむぞー!」じゃなく、「たのしみたい」。(できることなら…)みたいなニュアンスに、たまらずグッと来てしまった。親馬鹿ではあるのだけれど、この子のこういう所は、本当にわたしの子だろうかと思うレベルで、高貴な感じがする。とても風情があって良い。 10.27(月)

デリシャス★ゴージャス

2025.10.19-10.25 10.19(日) 20年間といえば、赤子が成人するまでの年月であり、自分の人生においての体感としても、それ相応の時間(ヴォリューム的な)だと思うのだけど、20年前に横浜の外れにある大学で知り合った友人夫婦と、未だに親しく付き合いがあり、今日は、家族で来訪。家族での小田原来訪も、すでに10回を超える。 わたしが19歳、彼女が18歳のときに出会ってから、その一年後に将来の旦那となる後輩が入学しており、バンドをやったり恋愛したり酒を呑んだり酒に呑まれたりした、いわゆる「青春」がそこにあった。 その後、わたしが暗黒の20代を過ごしている間に、なんの因果か、ふたりは結ばれ、わたしも紆余曲折ありながら、今の妻と出会い結婚し、娘が生まれたのが同じ年。0歳の頃から、ときたま一緒に遊ばせ、毎年交流を重ねてきたので、娘同士も非常に仲が良い。 我が家は親戚づきあいがあまりなく、娘は従兄弟的な人もいないのだけれど、向こうの娘がそういう立場で、「東京に住んでいるHちゃん」「小田原に住んでいるRちゃん」という、互いに良い距離感の友人みたいになっている。 夕飯にイナダ

サイボーグは古傷を隠す

2025.10.12-10.19 10.12(日) 夜。 先月、無駄で開催してくれたビッグなラヂオDJ3名によるDJイベント「JOJOJO」が、今月は東京・新橋で開催されるということで、遊びに行く。 新橋・銀座エリアというのは、わたしが20代の9割以上を「溶かした」思い出の魔都であり、お店へ行く途中、路地の、通りの、交差点の、至るところに断片化した記憶が染み付いている。 会うのは先月ぶりなのだが、DJ陣には「行きます!」とも言ってなかったので、3人共、突然の訪問にとても喜んでくれた。この日はDJの一人であるジョージ・ウィリアムズがバースデイ当日ということもあり、誕生日祝の会も兼ねていた。 相変わらず、選曲も喋りもお客のノリも最高の空間で、ピースフルかつハートウォーミングなイベントで、まるっと3時間くらい盛り上がったのだが、本日、ジョージ・ウィリアムズのラストナンバーというタイミングで、なんとわたしのアナログレコードがプレイされる。わたしが、2月にリリースした曲、そのイントロ、ギター・リフがフロアに響き渡る。 それだけでも大興奮だったのだけれど、そのまま、

幸い通りの魔術師

2025.10.05-10.11 10.05(日) 昼。 町のいたるところで、同時多発的にいろんなお祭りやら外呑みやらイベントが行われている日曜日。すべてのイベントを横目にみながら宇崎竜童のコンサートへ。徒歩圏内にコンサートホールがあるのも贅沢なこと。最近は「お、これは」という催し物がちょこちょことあるので、嬉しい限りである。 会場は先日の芸者イベント同様、ここも「笑点のオープニング」と同じ感じの年齢層で固められていて、吉幾三ではないが「まったく若ぇもんはオレひとり」というような状況であった。ホール全体にナフタレンっぽい匂いがした。それもそのはず、竜童翁は来年2月で80歳。よく声は出ていたし、何よりパワー系のギターが格好良かった。提供曲のセルフカバーの他、ダウンタウンブギウギバンドの曲もたくさん演り、「ダウンタウンといえば浜田・松本ではなく、和田・宇崎である」わたしにとって、とても良いライブだった。 夜。 餃子を包みたいという娘の要望で、餃子を包むが、いつの間にか、わたしよりもよっぽど上手になっていて、彼女からの注意を受けながら、3つくらい包む。軽く餃子を食べたあと、風呂