わたしの愛はモノラルで。


1月

アナログレコードを作ると息巻いて。10年ぶりに書いた新曲と昔のバンドのセルフカバーを、こちらのメンバーで録音。ちゃんとしたレコーディングは、なんだかんだ逃げてきた人生で、初めてだった。絵かきの友人の影響で、絵を描き始める。クレヨンからのスタート。娘も同時に絵を習い始める。

宮小路の廃ビルが売りに出て、内見。正月のテンションを引きづっていて、勢いでビルを購入しかけるが、あまりの老朽化・補修の多さに断念。いまこうして年の終わりに振り返ってみると、ちょっと狂っていたのかもしれん。ナイス撤退判断であった。

2月

「スナック無駄」名義で、製作した曲が配信リリース。DIYで作品を世界中に届けることができるというのは、テクノロジーというか、もはや8割近くダークサイドに堕ちてしまったインターネットの、数少なく残されている明るい面だと思う。俺たちが思い描いていたインターネットの恩恵に近い。

せっかく曲を作ったので、MV(PV)も自分で作ってみようと、AIに質問しながら、宮小路の民、オールロケ宮小路という、偏愛キャスティングで簡単な脚本を作り、撮影・編集を行う。初めての経験だったけど、とても面白かった。そしてこれもテクノロジーの明るい面。初めてのことでも結構なんとかなる、もちろんプロレベルのクオリティではないけれど、DIYがしやすい世界になった。

けっこう時間も体力も、そして他者のスケジュール調整とかもあるので、頻繁にはできないけれど、年に1本くらいは作りたい。

娘の保育園のお楽しみ会に、純度の高い「イリュージョニスト」を呼ぶ。手品師と呼ぶにはあまりにも、魔法じみているイリュージョンを初めて体験して、大人は大興奮。最前列の低学年の子たちは、鳩が次々と出てきて、あっという間に消えてしまう、という序盤で、大泣きしていた。

無駄には落語家を呼んで、寄席。スナックで落語聞くのも、とても良かった。

3月

熊本・博多にひとり旅。

初めて九州という国に上陸。学生時代の友人が博多で働いているので、2泊3日、随伴で案内してもらう。北海道の東のハズレで生まれ育ってから、18歳で関東に出てきて。それからはずっと関東にいるので、まったく知らない、西の、南の国という感じがして、店も町も人もとてもフレッシュに感じられた。美人が多いのは予想通りだったが、辛子蓮根という食べ物に関して、わたしの認識は大きく変わった。(いい意味で)

娘が卒園。保護者会会長としての役目も終了。卒園式前夜に家族全員、体調不良だったが、乗り切った。6年間が終わって、ようやく子育てフェーズ1が終了したという実感。次からは小学生としての6年間、その後はティーンネイジャー(学生さん)としての6年間を一緒に過ごして、君は大人になり、わたしは老いていく。

4月

製作したアナログレコードが完成。実物はまさしくバイナル。そうやって注文したのだから至極当たり前のことだけど、ドーナツ盤で、自分の店に数多ある、ドーナツ盤(たとえばジュリーに、たとえば明菜に、たとえば浅川マキに)の隣に、自分の曲が並ぶのは感慨深かった。作ってよかった。遠方の知り合いや、街の人にもレコードを売る。そして、このアナログ盤はこれから年末までを通して、いろんなキッカケを生んでくれる大事なギミックとなるのだった。

月の後半。生まれ育った北の町で、ティーンネイジャーの頃に入り浸っていた店が、復活するということで、ひとり訪問。ここは氷点下と焼肉の町で、そういった話を、無駄のお客さんにもたまにすることがあったのだけれど、そういう流れで興味を持ってくれた常連客も、現地集合で北入り。仲良く向こうの焼肉を食べる。

娘が小学校に入学。新しい環境に慣れないのだろう。家で暴れ散らかすようになり、我々夫婦は「つみきくずしだわ。。。」と戦々恐々としながら暮らしていた。

5月

ゴールデン・ウィークは、この町はお祭りで、3日間神輿がでる。宮小路も店が増えてきたので、今年は無駄も3日間昼から営業。神輿が商売繁盛を願って店に突っ込んでくるという、この町独特の風習も初体験し、なんだかんだで今まで毛嫌いしていたが、良いものだった。上がった。

3日間、家は寝るだけで、ほぼ店と町にいたので、チヂミとか焼き鳥とかばっかり食べていて、3日目の朝、「もう、油もの無理」と身体が泣き始め、U亭で握ってもらった、漫画のようなサイズの白飯握りの味が忘れられない。頬張りながら路上を歩くと、我も我もと、民たちがU亭に駆け込んでいった。

このブログを週報という形ではじめる。

6月

自宅マンションの外壁工事がようやく終わる。音が五月蝿いのはもちろんだが、ベランダに、知らないおじさんたちがロープで降りてくる生活も過ぎてしまえば懐かしや、とはならなくて、終わってよかった。湯元芸者と交流し始めたり、東京の無駄愛好者が貸切イベントをやってくれたりして過ごしていた。

新宿で飲んだくれていた時代に、ゴールデン街の店で知り合った女性がいて、歳も近く、昭和歌謡とジャズと藤圭子と酒が好きで、よく仲良くしていた彼女からワンマンライブがあるので来てくれと、久しぶりの連絡があって、四ツ谷まで見に行く。7月にわたしも人生初の弾き語りでのライブが決まっていたので、良い刺激になるかなと思って閲覧。昔は一緒に対バンなどしていたのだが、その頃と比べても格段に曲、歌、ステージングのすべてが良くなっていて、圧巻だった。わたしが娑婆でのビジネスや、家族や子育てや、あれやこれやをやっている間、彼女は店と音楽をやり続けていたのだけれど、わたしが再び音楽をやり始めたことも知っていて、それをとても喜んでいた。嬉しかった。

7月

月頭に、ジョージ・ウィリアムズ&光風のライブDJイベントにお呼ばれ。オープニングアクトとして弾き語りをやる。バンド(それも大人数)ばっかりやっていたので、ギター一本と歌と喋りだけで、ライブするというのは初めての経験で、ぶっちゃけド緊張したけれど、始まってしまえばショー・マスト・ゴー・オン。良い感じにプレイして、盛り上げることができた。良縁をつないでくれたシセロシスコに今年も本当に感謝。

無駄では芸者ナイトをやったり、近隣店舗を誘って、宮小路縁日を開催したり。子供連れをたくさん呼んで、盛り上がった。娘が長い夏休みに入り、猛暑は今年も猛威をふるっていて、全体的に体調を崩しがちな夏。ハリキュウで乗り切る。

8月

「モヤモヤさまぁ~ず」という老舗のTVショーが、ロケをしに無駄に来る。事前のディレクターとの打ち合わせや実際の収録、後日の店撮りなど、わちゃわちゃしつつ、夏休み後半の娘と伊豆の動物園に行き、ホワイトタイガーを観るなどして遊ぶ。猛暑すぎて、人の出がぜんぜん無く、店が暇と言っていた気がするが、いま振り返って8月の売上レポートを見るとそんなこともない。

月の後半は、夏休み疲れが家族全員(おそらく娘本人も)出てて、体調を崩しがちだが、だましだまし乗り切った。結婚記念日の会にて、禁酒してから今月でちょうど丸3年経つので、ゆるく解禁することに。

最後の日に、駅チカマルシェに(なぜか無駄グッズ販売で)出店し、同時に無駄店内で講談師を呼び講談の会を執り行うなど、ダブルブッキングをこなす。今年からイベントがあるときには、H女史にバイトしてもらっていたが、この日は特にとても助かった。

9月

前月のもやさまが放送している裏側で、「JOJOJO」というジョージ・ウィリアムズとジョージ・カックルとジョニー志田による月例DJイベントを、無駄で執り行う。東京からの遠征組もいたりして、わたしも一曲歌わせてもらい、大盛り上がりであった。

そして、後半は水曜どうでしょうのファンイベントを無駄&二階の「Barとりあえず」で執り行う。もはや芸能人化してしまった両ディレクターも来店し、こちらも全国各地から多数の遠征組、小田原在住組も混ざっての大盛り上がり。この夜は誇張表現とかじゃなく、リアルに目が回った。

このイベントをきっかけに常連になってくれた人もいて、嬉しかったし、そもそも道産子として、地元ではない全くよその町でやっている自分の店にディレクター陣が来て、会えるとは思わなかったので、やはり非常に嬉しかった。

イベント前の準備や調整なども含めて、9月。かなり、忙しかった気がするが、その裏で妻がいきなりエレクトリック・ベースを始めたりしていた。

10月

ようやっと涼しさが出てきた感じ。

宮小路では月の頭に「納涼祭」。月末にハロウィンイベントを開催。納涼祭では昨年同様、神社境内の真上からDJセットで歌謡曲を爆音で流し、カラオケ大会を仕切るMCをやり、神社に人がパンパンになるというなかなか珍しい光景を、今年も見ることができた。ハロウィンでは土砂降りの中、たくさんの仮装した人たちが傘を差して店をハシゴしていた。

家族では三島に個展を見に行ったり、わたしのバースデイということもあって、娘からお手紙をもらったり、ハート・ウォーミングな気持ちで過ごせた日が多かった気がする。

11月

月の頭には、学生時代の先輩が去年に引き続き無駄詣でにやってくる。このへんまでは少し緩やかだったのだが、ここから月末の「宮小路バル」の企画・調整・準備をやりつつ、妻が無駄を貸し切って「バンギャナイト」を開催したり、その直前に今年二回目の北海道の地元へ(今度は家族を連れて)訪問したり、詩集を出すことになって、その打ち合わせが並行して入ったりと、疾風怒濤であった。

「宮小路バル」もたくさんの人が来てくれて大盛り上がりの2Days。良かった。

週イチしかやらない店として(まあ実際はイベントとかで月6回くらいは営業しているが)、暇を持て余して生きている設定だというのに、あるまじき忙しさ。だが、これが天が与えた役目なのだろう。求められるうちが花と思って、走った。

12月

前月からの勢い、いまだ衰えず。1日から2月に引き続き、二回目の無駄寄席。年の瀬に(年末の風物詩的噺である)芝浜を聴くという、洒落た企画を実施。少ない人数で贅沢にツバかぶり席で落語を体感できる、ゆとりのある時間。その週末にはこちらも毎年恒例の「無駄歌謡祭」。今年はDJももちろんだが、ライブ多めの企画で、なんか昔の学生時代の合同ライブのノリを思い出す良さがあった。無駄歌謡祭も含めて、今年は高校時代の友人Kがフードを出しに、わざわざ宮小路まで出張してきてくれていて、彼も小田原、というか宮小路にどっぷり浸かって、友人を作っているのが面白かった。

これにて、今年のイベントごとは全て終え、師走はいわゆる仕事納めまで、町に人の出が少なく(忘年会と縁遠い店)であるので、少しゆっくりできた。というか、かなり回復して、こうして年の瀬を迎えることができている。走り抜けたという感覚の一年。支えてくれた妻、娘、スタッフ、ファン、友人、知人、間接的に気にかけてくれた方々、本当にありがとうございました。

来年もダラダラしながら、飛ばしていきますので、何卒、ご贔屓に。

BRAKE ON THROUGH TO THE NEXTYEAR

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常夜の常識

2025.12.14-12.20 12.14(日) ここ数週間、娘が友達と寄り道したり、下校後に待ち合わせをして遊んでいる理由は、自宅裏の野良猫なのだが、先週の木曜日を最後に、いつもブラブラしている空き地からいなくなってしまった。わたしとしても(娘が可愛がる前から)、常にそこにいた猫だったので、どうしたものかと心配。ところが、当の娘は 「おばあちゃんだったからね、死んじゃったんじゃないかな」 と、真顔でドライに言い放つものだから、いや待って、まだいなくなって3日くらいだし、そのうち、ひょっと現れるはずだよ、なんて、口ごもってしまう。 「生き物は死ぬでしょ、いつかは」 との由、述べられる娘。 メメント・モリを理解しているのか。この歳で。 12.15(月) 猫は今朝もいない。 午前中に詩集の打ち合わせを行い、時間が一瞬で溶ける。夕方からラジオの収録、年内ラスト。そして夜は月曜日営業の無駄であった。 無駄のようなコンセプト飲み屋は、忘年会や繁忙期が重なる十二月、全然人が飲みに来ないので、なかば「

眠らない教皇

2025.12.7-12.13 12.7(日) 宮小路バル、無駄歌謡祭、と大きめのイベントをすべて終えて、さぞや疲労コンバインだと思っていたのに、わりと心身が元気。家族でA珈琲店にてブランチをとり、さあ、今日はどうしましょうね。ということに。 このHP/MPならいけるのでは?ということで、シセロシスコの個展最終日に赴くため、東京、小伝馬町へ。 途中、1年分の生活費によって溜まったクレジットカードポイントを消費するため、日本橋の三越という、百貨店中の百貨店。もはや絶滅危惧種と言っても過言ではない、百貨店という建物で、娘と迷子ごっこを楽しみながら、食品売り場がある地下で、高い肉などを郵送してもらう段取り。肉屋では明らかな東京の中央区のマダムが「ぁたくし」という一人称を使って、わたしたちよりも高価な、はるかに高価な、サシの入った肉を注文している。すげえ量。 個展に手土産でも、ということで、お菓子売り場をウロウロしていると、かわいいマカロンが売られていて、色とりどり。娘とこれはいいね、なんて言って、手土産用に買おうと思ったら、14個入り7000円。嘘だろ。向かいには十勝おはぎのサザ

虹が溶けていく

2025.11.30-12.6 11.30(日) 妻が昼から推しのヴィジュアル系バンドKのライブに行くので、午後から娘とダラダラ過ごす。2日間の「宮小路バル」をやりきって、無事に大盛況で終わって、その安堵感もあるのだが、疲れてはいるけれど、ずっと眠るというわけでもなく、というのも、明日は無駄で落語会、週末は年に一度の「無駄歌謡祭」と、あと残り2イベントを残しており、休むに休めないというか、なんか、そういうので、ダラダラしつつ、娘とドラえもんのカードゲームなどをやる。日本語がある程度読めるようになっており、ルールブックを読み、初体験のわたしに対してレクチャーをしながら、ゲームを進める。負ける。 よる。静岡方面から、バチバチにアーティスティックなお二方をお迎えして、シセロシスコとわたしと娘と一緒にTで会食。途中からライブ帰りの妻も合流して、鴨肉を食べる。 12.1(月) ひる。ステージ上に高座を作り、落語会の準備。 よる。今年二回目の落語会は、前回同様、超少数で贅沢な距離感でライブの落語が聞けるスタイル。十二月の初っ端から、

地雷原のモグラ

2025.11.23-11.29 11.23(日) 昨日から北海道北見市に家族で滞在。2日目。 昼。念願だった「回転寿司のトリトン 本店」へ行き、6歳女児も積極参戦して3人で32皿くらいを食べる。 散々っぱら、魚を食べた後、友人の車で40分かけて「山の上の水族館」という、全国に1つしかない淡水魚オンリーの水族館へ。わたしが小さい頃から、この、道の駅的な場所はあったけれど、水族館はなかったので、娘を散策させ、楽しんでいた。幻の魚「イトウ」や「ティラピア」の巨大さ。大きい魚は原始を感じさせる。 当時、水族館は存在しなかったけれど、ここは、小さい頃に両親によく連れてきてもらった場所で、妹も一緒に遊んだ記憶が蘇る。ノスタルジア。象徴的な建物をバックに娘の写真を撮り、当時の記憶を共有する唯一の存在である妹に、思わず送る。人生は、同じことのようで違うことの繰り返し。違うことのようで同じことの繰り返し。 11.24(月) 朝早くの飛行機に乗り、