ラジオスターの喜劇

2025.06.22-06.28


06.22(日)

錦糸町という、ゴタゴタに煮詰まった街にて、観客としてDJイベントに参加。

ベストヒットロックナンバーを中心とした選曲の中で、たまに歌謡曲も交じり合い、フロアにいた妙齢のオーディエンスたちは狂喜乱舞。ピース&ハッピーな空間およびイベントであった。とても。

月に一度、さまざまな場所で開催している移動式イベントということで、機会があればぜひ無駄へ。とお伝えして、帰路。

出演者であり、グッド・ガイ・ラジオスターであるJを、自宅へ送るシセロシスコのクルマに便乗(運転はもっぱらシセロ=シスコが担当)し、まことに貴重な話をたくさんしてもらう。今年わたしが制作した7インチレコードも受け取ってもらい、それだけでも喜ばしい限りであったのだが、それ以上に、個人的に嬉しい言葉をたくさん貰い、まさにライト・マイ・ファイヤーという感じであった。

一生忘れられない夜というのは、きっとこういう夜のことを言うのだろう。

真夜中の江ノ島の風を、わたしはずっと、思い出す。

06.23(月)

夕方。

夕飯を食べたあとで、娘とコンビニへ。
アイスクリームを買って帰宅する。昼間は激烈に蒸し暑いうえに、6歳児ながら下校後に宿題やら音読やらがあって、家族全員が部屋に引きこもっていることが多い。ちょうど18時過ぎるあたりで、すこしずつ外の空気が変わり、海の潮風が心地よくなる頃に、ふたりでコンビニまで散歩にいくことにしている。

午後にめちゃめちゃ喧嘩しても、一応夕飯後のこの頃には、なんとなく落ち着いている(お互い)というのもあって、フィールソーナイスな気分で散歩できた。

入浴後、「今日はひとりで寝てみる」との意思表示を行い、相棒であるドラえもんのぬいぐるみを抱えて、就寝。

06.24(火)

入学後3ヶ月が経過し、同じ方向の下校グループとキャッキャッしながら帰ってくるので、まあいい感じにスクールライフ送ってるのかなと思っていた。

下校後は午後から夜までずっと、狭い部屋でパパとママとばかりいるので、いい加減、(お互い)飽きてくるし、やはり同じメンツとばかり毎日顔を合わせていると、細かなことで揉めたりするのが人間社会であるので、小競り合いからはじまる癇癪の応酬、阿鼻叫喚の午後、みたいのも増えてくる。

なので、そろそろお友達と遊びに行ったり、遊びに行く約束などしてくれば?と水を向けたところ

「一緒に遊びたいと思える友達はまだおらず、そもそも自分からそのようなことを声がけするのは無理。万が一、友達が家に来た場合、私のおもちゃや、ぬいぐるみ、部屋のレイアウトなどを崩される恐れがあり、それもそれでだるい」

という旨のことを(泣きすぎてしゃっくりしながら)仰っしゃられていて、令和型のソーシャライズ・人間関係っぽさを感じる。

特に親が何かをしなくても、というか、むしろ彼女は四六時中「ドラえもん」を鑑賞しており、昭和型の空き地コミュニケーションをインストールしまくっているはずなんだが、遺伝子というのは世代によって、きちっと新生代型の人間を作り出していくのだなあ、と思って。

泣きすぎた挙句、ふいに

「もういい!!牛乳のむ!」

で、夫婦揃って爆笑。
それを見て彼女は、また憤慨。

06.25(水)

月に2回。友人の画家に来てもらい、子ども向け絵画教室をやっている。

娘は絵とピアノだけは好きらしく、習い事らしい習い事はそれくらいで、まあ楽しくやっているのだが、小学校に入学してからは特に「わたしはこうやりたい」が強くなり、先生の提案は99%くらいの勢いで却下する。

わたしは、こう見えて場の空気や、相手の気持ちなどを勝手に、自動操縦的に、把握してしまうタイプのスタンド使いなので、そういう場面が訪れるたびに、

「多少、嘘でもいいから、たまには提案に乗ってほしい」

と思う。自分自身がそういう大人の顔色や希望を感じ取り、先回りして、大人が喜びそうなことをするのに長けていた、いけ好かないガキであったという過去もあるのかもしれない。どこかで娘の、この徹底的な「提案、アドヴァイス、サポートを拒否する姿勢」を羨ましく思っているのかもしれない。

と、思えば。

学校では先生の言うことを必ず聞き、叱られること、権威側と摩擦になることを避け、逆に、同級生たちのルール違反、違反者へ向けての先生のお説教までを嬉々として話すことがあり、彼女のこの「権威・体制的」な感じは誰に似たのだろうと思うことがある。

わたしは全く逆で、教師以外の大人(親戚や祖父母、近所やお店のおっさん、お姉さん)などには、非常に好意的に振る舞っていたが、学校の教師だけは本当に生理的に合わず、反抗していたような気がするので、親と子はまったくの別の人間であるという事実を目の当たりにすることが増えている。

思えば、わたしの両親は、わたしが異常に愛想良く、家族以外の人たちとソーシャライズしていくことをあまり快く思わないタイプで、よその人から褒められるたびに親からは小言を言われていたような気もする。親と子はまったくの別の人間である。あたりまえだけど。

06.26(木)

こんなに毎日きちっと「宿題」って出てただろうか。と思うくらい、毎日少量ずつだけど、国語と算数のプリントが宿題として出ていて、いちおう、終わったらそれを親であるわたし or 妻がチェックしている。

当初は誤りがあった場合、その場で訂正して教えてあげる動きをしていたのだが、彼女の機嫌的にそれを受け入れられないヒステリック・デイのときがあり、もうそうなってしまうと

「あ、むかし、歌舞伎町の朝方で、こんな光景見たな?」

というくらい、荒れ狂う女と化すので、いまは多少間違えていても、学校での直しタイムにお任せして、放っておくことも多い。彼女の側から「間違えていたら、教えて」と言われるときは、教えるようにしている。

宿題のプリントを何十年ぶりに見るけれど、相変わらずめちゃめちゃ難しいなという問題が紛れており、質問されてもわからないときがある。たとえば。

問:絵をみて、なまえを答えましょう(4文字)

絵:なんか蕾のある花?のようなイラスト。

答:ほおずき

ほおずき?鬼灯?
鬼灯であることは、この拙いイラストでわかるもんなのか、いや俺はまだギリギリわかったが、小学1年生に答えさせる絵解き問題として適切レヴェルなの?鬼灯ってそんなメジャーなの?たんぽぽじゃあ駄目なんですか?いや、じっさい。そのへんに生えてますか?鬼灯。

私たち夫婦は、携帯ショップの姉ちゃんに、いちゃもんをつける爺婆のような様相で

「これは問題が悪い。ありえない。」

と悪態をついているのだが、この日もキツいのが来ていた。

問:絵をみて、答えましょう(5文字)

絵:女子と男子が対面しており、女子が男子に怒っているイラスト。

我々の答:おこられる

正答:とおせんぼ

とおせんぼ?いや、とおせんぼ?確かに言われてみると、男の子は、女の子に対して、とおせんぼしているように見える。見えるけれども、それに対して、女子は激しい表情でブチ切れており、むかし朝方の歌舞伎町で見た、ホストと揉めている女と同じ顔をしているじゃないか。状況を5文字で描写せよ、というのであれば、「おこられる」でも正解なのでは?というか、問題がどうとでも捉えられるの、ファジーすぎない?

など、頭ぐるんぐるん。梅雨が消えてしまい、ずっと夏。

06.27(金)

夕方。

7・5・3という、日本伝統の行事の対象年齢となっている娘のために、K駅の写真館まで赴く。

今日は、撮影の日取り決めと、当日の衣装決め。
模様替えもあるので和装・洋装の2パターンを選ぶのだが、うちの女優は吊るしで待ち構える豪華絢爛な衣装たちの前に、スッと歩みを進めて、カチャカチャと衣装を選んでいるかと思うと、ものの1分もしないうちに

「この、ピンクで」

と、一言。
その後はしばらく、写真館のスタッフ、わたし、妻が、他の色や柄を提案する、無意味な時間が流れる。

じゃあ、羽織ってみましょうということで、ピンクの着物に袖を通す女。彼女の直感どおりに、めちゃめちゃ似合っていたので、両親も写真館のスタッフも

「これは、仰るとおりですよね」

と、即決に至る。

洋装も、同じように一発で決め、写真館のスタッフ曰く、

「過去最速かもしれません、衣装決め。」

という名誉記録を打ち出して帰宅する、我が家。

夜は無駄。

6月最後の無駄営業だったが、今日も22時過ぎまでカウンターのみのゆっくり営業。そして23時以降に満席という、今月の傾向を継承。ロックンロールナイト。

真夜中に突然、セッションライブができるスナックは、全国的にも珍しいのではないだろうか。今月もたくさんのお客さんが遊びに来て楽しんで帰ってくれて、とても良かった。

06.28(土)

朝。

エアコンつけっぱなしかつ、タンクトップのまま寝てしまい、喉が痛いというか、ちょっと風邪っぽさを感じる。

葛根湯、ビタミンC錠剤、QPコーワゴールド錠剤を同時に大量に体内にブチ込み、上物の、喉消毒スプレーを吸引。なぜなら、今夜はビートルズのセッションライブイベントであり、一曲か二曲演るからだ。

日中、なぜかこちらも機嫌が芳しくない娘が、リビングに引きこもっているのをいいことに、自部屋でそのままゴロ寝。

おかげで夕方前には回復して、名だたるビートルズマニアの皆さんの前で、2曲ほど実演。演者・お客もたくさん入っており、盛り上がりを見せていた。

夜は、無駄の二階で12時間ぶっ通しのDJイベントというのが開催されており、店にギターを置き帰ったついでに立ち寄る。こちらはいい感じにドープ&ピースで、ステージ後の身体に丁度良く、滲みた。

来週の日曜もライブ。音楽的生活が続いている。

BRAKE ON THROUGH TO THE OTHERSIDE.

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ASH ON THE ROADSIDE

2025.08.24-08.31 08.24(日) また真夏がぶり返してきていて、なんにもする気にならない。暑い。夏休みに入ってからというものの、毎日のように同じメンツで生活しているのでまあぶっちゃけた話、新鮮味、フレッシュさというのは少なくなってきていて、残り一週間となったこの長期休みも、ウィニングラン、クールダウン、流し、みたいな感じになっている。そんな日曜日の夕飯は自宅でシウマイ。 餃子ではなく、シウマイが食べたいという、渋めのチョイスをされた娘に同意し、皮を買ってシウマイにする。調理時、妻が異様に苛ついており、娘とふたりで気を使いながら、地雷に触れないように、最善の距離感を保って、夕飯の準備を見守る。シウマイと春雨サラダを美味しくいただく。キッチンペーパーの在庫が切れていたので、自転車で買いに行く。風呂を入れて順次入浴。娘は明日、先日、我が家に遊びに来た親友宅へ、今度はゲストとして遊びに行く日なので、始終オソワソワされていたけれど、就寝。 ベランダにてラジオを聴きながら、パイプを一服。 あんまり動いていないせいか、けっこう深めに夕方寝てしまったせいか、眠くならなかっ

あなたと食べたいペニーレイン

2025.08.17-08.23 08.17(日) 夜 仲良くしている珈琲屋夫婦とKにて夕食。 日曜夜ということもあってか貸し切り状態。だらだらと飲み食いして、わたしの地元でもある北海道料理を中心に舌で鼓を打った。この店のかぼちゃコロッケは、中学生のころに、母が弁当に詰めてくれたかぼちゃコロッケの味に、激しく似ており、ノスタルジックで旨い。ちょっと中山峠とか石北峠とか、ああいうところの頂上にあるお土産屋さんの「あげいも」の感じもする。その他、鮭のハラミ焼き、酒飲みが大好きなイカのルイベなどをいただく。 前回訪れたのはちょうど一年くらい前だったのだが、娘込みでの家族三人では食べたいものをたくさん頼めず(量的に)、今回は、わりとよく食べる夫婦を随伴したおかげで、ヴァリエーション豊かに食事ができた。 気づくと、21時半を過ぎており、娘が大人たちの話に飽き、目をこすっていたので、急いで帰宅、彼女は速攻で眠りについた。 夜中、いい感じに酒の回った妻による、(彼女の専門とする)2000年代ヴィジュアル系バンドの生態系についての熱い講義が、突然始まり、結果、わたしたち夫婦は2時くらい

迫りくる大鰻

2025.08.10-08.16 08.10(日) カリソメの独身貴族、二日目。 「惰眠を貪る」という言葉は、贅沢の極みだと思っているのだが、まさしく惰眠を、心身の回復に必要十分な量以上のダレた眠りを、昼前まで貪っていた。贅沢を味わっている証拠に、涎も出ていた。外は雨。というかミニ嵐みたいな状態で、珈琲を淹れてレコードとかラジオとかを聴いている。埼玉は晴れている、と妻からのメッセージで知る。娘がブランコに乗っている写真が添えられている。 ようやく15時ぐらいに空腹であることに気づき、いや、気づいてから二時間くらいは経過していたけれど、ようやくそろそろ飯食わなきゃ、というエンジンがかかり、Pへ行き、魯肉飯。今日のジェラートは三種類あるよ、と案内されたので、全部。華やかなプルーンが乗っかった豆花と、ポットに一杯のホット・チャイ。 Pを出ると土砂降りが深刻さを増しており、そんなに長い距離ではないのに、家にたどり着く頃には、全身ずぶ濡れになっていた。傘、というのは一体いつから進化していないのだろう。これが最終形態だとは、どうしても思えない。 08.11(月) 夕方。 妻&娘が

包丁+薔薇 = 賽子

2025.08.03-08.09 08.03(日) 昼。 友人のアーティストが展示をやっているので、箱根のNへ。 昨年の展示は別の友人と妻と、平日の昼間に車で行ったのだが、今年は娘も連れて行くので、箱根登山鉄道という、イカした名前の汽車に乗りGO。 というのも、彼女は重度の乗り物酔い、それも車×山道の組み合わせにめっぽう弱く、何度かタクシーで(それも超優良級のドライバーのスムースな走行で)、箱根の山にトライしたことがあるのだが、そのたびに 「嗚呼ああああ、きもちわるいいいいいい、嗚呼嗚呼嗚呼」 という、涙ぐましいお声をあげられる、というか、実際に泣いてしまうことが多々あったので、今回はトレインにて向かう。 標高500メートル近い山の中腹まで、「スイッチ・バック」という聞き慣れない、ターン走法を駆使しながら、目的地まで進む登山鉄道。なにせ名前が良いよね、鉄道なのに登山。登山する鉄道。真夏の緑碧した山の中に、人類が知恵と工夫でゴリゴリに通してきた鉄道、130年間現役で使っている鉄橋、などを味わいながら、度重なるスイッチ・バックの果てに、たどり着いた展示で、わたしはおニュー