サイボーグは古傷を隠す

2025.10.12-10.19


10.12(日)

夜。

先月、無駄で開催してくれたビッグなラヂオDJ3名によるDJイベント「JOJOJO」が、今月は東京・新橋で開催されるということで、遊びに行く。

新橋・銀座エリアというのは、わたしが20代の9割以上を「溶かした」思い出の魔都であり、お店へ行く途中、路地の、通りの、交差点の、至るところに断片化した記憶が染み付いている。

会うのは先月ぶりなのだが、DJ陣には「行きます!」とも言ってなかったので、3人共、突然の訪問にとても喜んでくれた。この日はDJの一人であるジョージ・ウィリアムズがバースデイ当日ということもあり、誕生日祝の会も兼ねていた。

相変わらず、選曲も喋りもお客のノリも最高の空間で、ピースフルかつハートウォーミングなイベントで、まるっと3時間くらい盛り上がったのだが、本日、ジョージ・ウィリアムズのラストナンバーというタイミングで、なんとわたしのアナログレコードがプレイされる。わたしが、2月にリリースした曲、そのイントロ、ギター・リフがフロアに響き渡る。

それだけでも大興奮だったのだけれど、そのまま、DJブース前にいざなわれ、マイクが手渡されて

「歌ってみて」

というフリ。

こういう場合、謙虚な日本人であれば、固く辞するところであるのだけれど、わたしはこういう場面で、(やめときゃいいのに)「それでは、一節」とノリにノッてしまうタイプの人間であり、ありがたいことに、お客さんのノリもよく、非常に気持ちよく自分の曲を歌い、その暖かな空間を盛り上げることができた。加えてこの曲はわたしが23歳くらいの頃、新橋・銀座で呑み狂っていたころに、スナックのカウンターで書いた曲だったので、こういう土地の巡り合わせみたいなのにも、グッと来ていた。

この人や、他のふたりもそうなのだけれど、こう、やりたいことを真っ直ぐにやりつつ、ストレートに他者への優しさを表現できる大人というのは、お付き合いさせてもらっていて非常に心地よく、世の中的にそういう大人が減ってきている中で、とても貴重な先輩だなと思う。同伴し、今回もMr.ジョージの家&宮小路まで送ってくれたシセロ=シスコの車中で、ひとり、感激をこらえきれずにいた。鎌倉から小田原への帰り道、七里ヶ浜の夜の海は、いつもわたしの心に火をつける。

10.13(月)

祝日。

前夜の感動が残っていて、というか日が変わってから、色んな人から昨夜の動画が送られてきて、それを観るなどしていて、さっぱり前夜がリセットされない、お昼前。

町では「ちょうちん祭り」というのがやっていたが、家族みんなで蕎麦。

夜は、かねてから予定していた、とろろ専門店にて、とろろ会。我が家のメンバーと定期的に一緒に外食をするTの店主やAの夫婦など、総勢8名で、鮎のフライやら、クリの天ぷらやら、山の芋を自分たちですり鉢で摺り、米にぶっかけて、たらふく食べた。

身も心も充填された、そんな気のする3連休が終わった。

10.14(火)

ということで、元気いっぱいで目覚めたような気がする朝。今夜は宮小路の納涼祭である。気温はすっかり下がって20度前半。小雨もちらつく納涼にはぴったりの日。

14時くらいから準備をはじめて、17時開演。

昨年もわんさか人が来ていて、町の長老たちが腰を抜かしていたのだけれど、今年はそれに輪をかけて(町に新店が増えたこともあって、出店数も増えて)、わんさか人が来ていた。

今年も昨年同様、境内のどまんなか。一番高いところにDJブースを構え、カラオケ大会のMCと歌謡曲DJをかましてきたのだけど、まあ、かなり盛り上がった。神社で音楽フェスの様相。

また、来年もよろしくおねがいします。

夜、打ち上げも兼ねて、各店舗に顔を出すなどして、結局2時ころ帰宅。

10.15(水)

また昨夜のイベントの余韻が残る午前中。

一日の始まりと終わりは、必ずしも時刻によって決まらない。つまり24時に切り替わるものでも朝7時に切り替わるものでもなく、もっとファジーな淡いの時間を経ながら、ゆっくりと昨日は昨日になっていく。ああ、あれは昨日のことだったなあと、なるのは、一日のなかでも実はもっと後半なのではと思いながら、娘が下校してきて、踊っている。

「かえりみち、女の子たちみんなで、髪のゴム取ってきたんだ!」

と、言って、ヘアゴムを左手首に巻き付け、髪、振り乱して、ルンルンしている。

「女子じゃん、もう、女子」

自然と口をついて出てしまう、元男子のわたし。

「え?女子だけど」

何いってんの?と言いたげな目。

その後、新曲製作と詩集の打ち合わせとラヂオの収録。

道楽なのか仕事なのか、こちらもさっぱりわからんが、とにかく、淡いの時間、ファジーな世界で、わたしはずっと生きている。

10.16(木)

「ハンバーグが食べたい、パパの。」

というオーダーを承ったので、急遽夕方にひき肉を買いに行き、レッツ・クック・ハンバーグ。

前回が夏前だったので、ひさしぶりのハンバーグであった。というか、もう台所で料理をするのが、けっこう稀な出来事となっている。

今の妻、(と書いて思ったけれど、その前に妻がいたこともないのだが、今の妻というと、前の妻もいたような感じを受けるぜ、日本語)

とにかく、今の妻とまだ結婚前〜娘が3歳くらいまでの間は、晩飯はどちらかというとわたしの担当であり、料理にはわりと絶大な自信があった。18歳でひとり暮らしを始めたときは、米の研ぎ方すらしらなかったのに、貧しい一人暮らしは否応なく、暮らしのスキルを高めてしまう。で、その培った料理スキルで妻の胃袋をつかみ、結婚したようなものなのだけれど、3年前にパタッと酒をやめた途端、まったく料理する気が起きなくなってしまった。すると、必要上、元来料理が苦手で嫌いだった妻が、料理をすることになる。そして「必要」は否応なく、スキルを高めてしまう。もはや、彼女の料理のほうが、あらゆるジャンルでわたしよりも、よっぽど美味しく、そうなるとますます台所から遠ざかってしまうのだった。

という、背景がありながら、「ハンバーグ」だけは、いまだ牙城を崩さず、「パパのハンバーグ」というメニューとなっている我が家。今回もひさしぶりの出番であったけれども、かなり良くできた。

ごちそうさまでした。

10.10(金)

夜は無駄。

ダンボールゴミの日だったり、トイレ掃除の用具補充しなくちゃいけなかったり、先日の神社DJによるレコードが散逸していて、それらを片付けなくちゃいけなかったり、なんだかんだで午前中から店の片付けをしていた。来る31日、世間的なハロウィンというジャパニーズ’ コスプレイベントに、宮小路の街全体で乗っかることにしたので、それ用のフライヤーなどを、知り合いの店舗などに配りに行き、営業前、ドラムの人と新曲ふくめたバンドの練習。無駄はプライベート・スタジオとしても十分使えるので、良い。

いい感じに、曲がまとまり、そのまま営業スタート。新規多めであったが、先週と比べるとのんびりした営業。

どこまでが仕事で、どこまでが道楽で、どこまでがやりたいことで、どこまでがやらなくちゃいけないことなのか、というのは、わたしの毎日では、もはやまったく混ざり合っていて、もはや、より抽象的な概念である「生きる」、とか「暮らす」とかに集約されているような気がしている。

「お仕事は何を?」とか「金曜日以外は何をしているの?」とかいう質問を(あたりまえだけど)受けることが多いのだが、具体的に説明することが、難しく、というか、相手に理解してもらえるような、うまい説明方法が未だにわからなくて、

「まあ、育児をぉぉ」などと言って毎回ごまかしているけれど、今度から、「一生懸命、暮らしています。」って、清々しく応えることにした。

営業後、Uにてむりやり焼き鳥丼(タレ)を作ってもらい、夜食してゲット・バック。

10.11(土)

「そろそろ長袖がほしい」

とのご要望。成長期まっただ中の娘は、袖丈がちゃんとフィットしている長袖のシャツが2着しか残っておらず、気温も涼しくなってきたので、まあそうなりますよね、ということで、ショッピングモールDへ。

相変わらず、気に入ったシャツを身体に当てながら、姿見で自分の姿を映し、楽しそうに服を選んでいる。わたしも服が好きで、もはやおじさんと呼ばれるこの年齢の男性にしては、古着屋などにいくと、そうやって姿見で自分の姿を映し、楽しそうに服を選んでいるのだが、少なくとも彼女と同じくらいの歳のころは、服などに興味はまったくといっていいほどなく、母がイトーヨカドーで買ってきてくれた、妙な英語がプリントされたトレーナーとかを、なにも言わずに着ていたと思う。

試着しながら、髪の毛が耳にかかるたびに、左手で髪をかき上げる仕草。女子を通り越して、女子大生みたいになっている。

夜は自宅で、ケンタッキーパーティー。
チキン3.5個、ビスケット1個で腹パン。

BRAKE ON THROUGH TO THE OTHERSIDE.

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デリシャス★ゴージャス

2025.10.19-10.25 10.19(日) 20年間といえば、赤子が成人するまでの年月であり、自分の人生においての体感としても、それ相応の時間(ヴォリューム的な)だと思うのだけど、20年前に横浜の外れにある大学で知り合った友人夫婦と、未だに親しく付き合いがあり、今日は、家族で来訪。家族での小田原来訪も、すでに10回を超える。 わたしが19歳、彼女が18歳のときに出会ってから、その一年後に将来の旦那となる後輩が入学しており、バンドをやったり恋愛したり酒を呑んだり酒に呑まれたりした、いわゆる「青春」がそこにあった。 その後、わたしが暗黒の20代を過ごしている間に、なんの因果か、ふたりは結ばれ、わたしも紆余曲折ありながら、今の妻と出会い結婚し、娘が生まれたのが同じ年。0歳の頃から、ときたま一緒に遊ばせ、毎年交流を重ねてきたので、娘同士も非常に仲が良い。 我が家は親戚づきあいがあまりなく、娘は従兄弟的な人もいないのだけれど、向こうの娘がそういう立場で、「東京に住んでいるHちゃん」「小田原に住んでいるRちゃん」という、互いに良い距離感の友人みたいになっている。 夕飯にイナダ

幸い通りの魔術師

2025.10.05-10.11 10.05(日) 昼。 町のいたるところで、同時多発的にいろんなお祭りやら外呑みやらイベントが行われている日曜日。すべてのイベントを横目にみながら宇崎竜童のコンサートへ。徒歩圏内にコンサートホールがあるのも贅沢なこと。最近は「お、これは」という催し物がちょこちょことあるので、嬉しい限りである。 会場は先日の芸者イベント同様、ここも「笑点のオープニング」と同じ感じの年齢層で固められていて、吉幾三ではないが「まったく若ぇもんはオレひとり」というような状況であった。ホール全体にナフタレンっぽい匂いがした。それもそのはず、竜童翁は来年2月で80歳。よく声は出ていたし、何よりパワー系のギターが格好良かった。提供曲のセルフカバーの他、ダウンタウンブギウギバンドの曲もたくさん演り、「ダウンタウンといえば浜田・松本ではなく、和田・宇崎である」わたしにとって、とても良いライブだった。 夜。 餃子を包みたいという娘の要望で、餃子を包むが、いつの間にか、わたしよりもよっぽど上手になっていて、彼女からの注意を受けながら、3つくらい包む。軽く餃子を食べたあと、風呂

蒙昧フローラ

2025.09.28-10.04 09.28(日) 想像の3倍くらいダラダラして過ごす。娘もそういう気分だったのか、そればかりは、わたしにもわからないのだが、終始パジャマでiPadを観ながらソファでだらけている。ぼくも、起きたり寝たり、布団を上げて、また少し本を読んで、そのへんのドーナツを食べて、また布団を敷いて寝たりしていた。妻だけが外出用の服に着替えて、夕飯の買い出しや昼食はどうするのか、と気を揉んでいるのだが、今日ばかりはThe Damnedばりにニートを極めているわたしと娘は、気のない素振りというか、YESともNOとも言えないみたいな、真剣に善処したいとは思っている的な、政治家の答弁みたいなことを二人して繰り返し、相変わらずソファでだらけていると、いいかげん、妻が激おこ。ひとりランチへ出かけ、本日は別行動となる。 わたしたちは、前日に買ってあった「バックギャモン」を出してきて、娘とルールを確認しながら熱中。その後、なんだかんだ腹が減ったので、ふたりで、Sへ。大人びたサンドウィッチとアイスを食べる。 09.29(月) 9月もラスト2Days。 「バッチリ準備しました

冴子は砕け散った

2025.09.21-09.27 09.21(日) 通っている音楽教室の発表会ライブがあり、ライブハウスへ。出番はトリでJimi HendrixのFireという楽曲を演奏。同教室主催の「ビートルズセッションライブ」でもそうだけれど、『バンドで練習してライブにかける』のではなく、自分のパートをひとりで練習し、仕上げていき、本番一発でその場のメンバーで合わせるというのは非常に修行になるし、楽しい。発表会ということで、メンバーは講師陣が担当しており、これもプロと一緒に演奏できるというのは、なかなか刺激的で勉強になるものであった。会場、大盛り上がりでフィニッシュ。 音楽教室で楽器を練習し、発表会に出るなんていうのは、20代の頃の自分にとってはまったくロックンロールではなく、世の中のすべてを斜に構えて生きていたので、そういったものを小馬鹿にして毛嫌いして生きてきた。が、老若男女、市井の人たちが楽しく音楽を演奏し(そして昔対バンしていたような、尖った人たちよりも、よっぽど演奏が上手な人もいて)、それぞれがそれぞれのペースで高め合っている感じは、なかなかに素晴らしいものであり、まあ老いたとい