幸い通りの魔術師

2025.10.05-10.11


10.05(日)

昼。

町のいたるところで、同時多発的にいろんなお祭りやら外呑みやらイベントが行われている日曜日。すべてのイベントを横目にみながら宇崎竜童のコンサートへ。徒歩圏内にコンサートホールがあるのも贅沢なこと。最近は「お、これは」という催し物がちょこちょことあるので、嬉しい限りである。

会場は先日の芸者イベント同様、ここも「笑点のオープニング」と同じ感じの年齢層で固められていて、吉幾三ではないが「まったく若ぇもんはオレひとり」というような状況であった。ホール全体にナフタレンっぽい匂いがした。それもそのはず、竜童翁は来年2月で80歳。よく声は出ていたし、何よりパワー系のギターが格好良かった。提供曲のセルフカバーの他、ダウンタウンブギウギバンドの曲もたくさん演り、「ダウンタウンといえば浜田・松本ではなく、和田・宇崎である」わたしにとって、とても良いライブだった。

夜。

餃子を包みたいという娘の要望で、餃子を包むが、いつの間にか、わたしよりもよっぽど上手になっていて、彼女からの注意を受けながら、3つくらい包む。軽く餃子を食べたあと、風呂上がりの娘と「おやすみ」をして、ひとりでTへ。春夏駆け抜けたご褒美に、骨付きの子羊を焼いたのと、ワインを少々。

10.06(月)

午前。

背景だけ塗って3週間くらい放置していた油絵を、2ついっぺんに進める。無心。無音で。2時間経過していた。

下校後、妙にテンションの高い娘(今日は上履きを忘れていった)をいなしつつ、着物の帯の締め方をユーチューブで観る。みんな「いまはユーチューブでなんでもあるから一人でも簡単に習得できますよ」とか言うんだけれど、「空間把握能力」の他、日常生活において「普通の人がふつうにできること」が著しく出来ない場合が、まあ、わりとあるわたしの場合、こういう「紐を結ぶ」系の動作も恐ろしく難解であった。とくに動画は、わたしの躓きを無視して、勝手に進んでしまうので、「ちょっと、ちょっと、待ってくだsdさsだ」といううちに、右手で抑えている帯を落とし、さっき作った輪っかの部分とかが、台無しになってしまう。

端から娘がじっと観ていて、「うん、これはわかりにくいよね。ウチも今のは難しいと思った」などと、講評してくる。

イライラしながら、やっていると、なんとか「片ばさみ」という簡単な結び方はできるようになった。2時間経過していた。

10.07(火)

「普通の人がふつうにできること」が出来ない、ということを前日に意識してしまったからか、わたしにとって(というか、人類にとっては)難易度が高すぎると思うものの一つとして君臨している「自動車の運転」を「せざるを得ない」状況になるという悪夢を見て、汗びっしょりで起きた。

こともあろうか、わたし一人ではなく、顔がぼやけた子ども数名を後部座席に乗せて、全く知らない町の全く知らないハイウェイを、グニャグニャと異様に曲がりくねった長いハイウェイを走らないといけなかった。ハンドルを握る手が、小ギザミに震えていた。合流に次ぐ合流。煽りに次ぐ煽り。他の自動車はスイスイとハイウェイを縦横無尽に自由自在、進んでおり、立ち往生しながら、思っている場所とは全く違う動きをする自動車に恐怖と苛立ちを覚えて、ひとり情けなさと絶望に突っ伏しているところで、目覚めた朝。

気分悪。

夜。妻が作るミートソースパスタをみんなで食べ、バックギャモンを家族全員のトーナメントでやり、溜まっていた朝ドラに追いつき、日常は、明け方に見た悪夢とは打って変わって、まるで夢のように平和であった。

10.08(水)

夕方からラジオの収録を行い、夜。

箱根の山奥で妖怪のように籠もって絵を描いている友人が、上海出張から帰ってきたので、会食。おじさん二人きりでメシ食ってもね?ということで、湯元芸者を2名お呼びして、4人で夜中までキャッキャ騒いだ。寿司、豚の面、もずくの天ぷらなどを食べ飲み。激愉し。銭は勇ましい格好で飛んでいった。

湯元の芸者衆は140人もいるらしく、まるでポケットモンスター(初代)である。今年に入ってから知り合いになったお姉さんがたは、今夜もいれると8名〜9名なので、まだ1割にも満たない。ポケモンでいえば、まだマサラタウン〜トキワタウンをウロウロしているくらいであろうか。マスターへの道は長く険しい。

10.09(木)

下校後から非常にテンションがおタカな娘を連れてピアノ教室へ。先生と二人きりで防音室に籠もってレッスンをしている間、わたしは扉の外に置かれているパイプ椅子に座って、持ち込んだ文庫本を読んでいる。防音扉からすこしずつ漏れ聞こえてくる娘のピアノを聴きながら、30分。

最近気がついたのだが、この環境がいちばん読書に集中できる。

夜はカレーライス。

満腹食べたあとで、家族全員でババ抜き。ひとり負けた妻は夜のアルバイトへ。娘は、おふろ、髪乾かし、歯ブラシ、などの一連の夜の支度を、ほぼ一人でこなし、おふとんへ。つい昨年くらいまでの、就寝前の状況を考えても、この進化は著しいと思う。親離れの寂しさも、まあ、あるっちゃあるが、それよりも「うわああ、自律駆動!楽!!」が勝っている。おそらく、お互い。なんてことを感じながら、水木しげるの漫画をパラパラ読んで、わたしも早めの就寝。

10.10(金)

昨日の晩御飯もカレー食べたのに、お昼はTにてカレー。ふと思ったが、頭文字Tの飲食店が多すぎる。

夜は無駄。

入りから終わりまで満員御礼。レギュラー営業で、この混みっぷりは久しぶりだった。グラスも割れた。駅前もわれわれの町も、たくさん人が出ていた。人が出ないときは示し合わせたように一斉に人が出ないのに、出るときは、これも集合的無意識の悪戯かのように、いっせいに人が出てくる。不思議。

10.11(土)

三島に、わたしと娘の絵の先生の個展を見に行く。師の個展。父娘同門。

三島は、アーティスティックなタウンで、町中に水や良い気が巡っている感じがして、とてもグッドフィーリング。個展で先生から「近くの美術館」のチケットをもらったので、三嶋大社に参詣後、はしご。こちらでは妻の大好きな「皇室もの」が展示されており、娘も一緒に皇室秘伝のアート作品や刀剣などを見る。

その後。

源兵衛川という小川で、石の足場を娘とふたりでキャッキャしながら渡る遊び。今日は雨だったので、石が濡れていてスリル満点。近くを、ほんとうに近くを鴨たちがケツを振りながら泳いでいる様。娘が真似をしてぴょんぴょん足場を進んでいる。妻はなぜかハイヒールを履いてきているので、そんな余裕はなく、恐怖を叫びながら、全神経を集中させて渡りきっていた。タクシーの運転手に聞いた地元の人が行く鰻屋に行き、鰻やどじょうを鱈腹、食べた。

小田原へゲット・バック。洒落たSにて父と娘は夜ジェラート。妻は赤ワイン。なかなか良い近場のショート・トリップ。ミシマ・トリップ。

BRAKE ON THROUGH TO THE OTHERSIDE.

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デリシャス★ゴージャス

2025.10.19-10.25 10.19(日) 20年間といえば、赤子が成人するまでの年月であり、自分の人生においての体感としても、それ相応の時間(ヴォリューム的な)だと思うのだけど、20年前に横浜の外れにある大学で知り合った友人夫婦と、未だに親しく付き合いがあり、今日は、家族で来訪。家族での小田原来訪も、すでに10回を超える。 わたしが19歳、彼女が18歳のときに出会ってから、その一年後に将来の旦那となる後輩が入学しており、バンドをやったり恋愛したり酒を呑んだり酒に呑まれたりした、いわゆる「青春」がそこにあった。 その後、わたしが暗黒の20代を過ごしている間に、なんの因果か、ふたりは結ばれ、わたしも紆余曲折ありながら、今の妻と出会い結婚し、娘が生まれたのが同じ年。0歳の頃から、ときたま一緒に遊ばせ、毎年交流を重ねてきたので、娘同士も非常に仲が良い。 我が家は親戚づきあいがあまりなく、娘は従兄弟的な人もいないのだけれど、向こうの娘がそういう立場で、「東京に住んでいるHちゃん」「小田原に住んでいるRちゃん」という、互いに良い距離感の友人みたいになっている。 夕飯にイナダ

サイボーグは古傷を隠す

2025.10.12-10.19 10.12(日) 夜。 先月、無駄で開催してくれたビッグなラヂオDJ3名によるDJイベント「JOJOJO」が、今月は東京・新橋で開催されるということで、遊びに行く。 新橋・銀座エリアというのは、わたしが20代の9割以上を「溶かした」思い出の魔都であり、お店へ行く途中、路地の、通りの、交差点の、至るところに断片化した記憶が染み付いている。 会うのは先月ぶりなのだが、DJ陣には「行きます!」とも言ってなかったので、3人共、突然の訪問にとても喜んでくれた。この日はDJの一人であるジョージ・ウィリアムズがバースデイ当日ということもあり、誕生日祝の会も兼ねていた。 相変わらず、選曲も喋りもお客のノリも最高の空間で、ピースフルかつハートウォーミングなイベントで、まるっと3時間くらい盛り上がったのだが、本日、ジョージ・ウィリアムズのラストナンバーというタイミングで、なんとわたしのアナログレコードがプレイされる。わたしが、2月にリリースした曲、そのイントロ、ギター・リフがフロアに響き渡る。 それだけでも大興奮だったのだけれど、そのまま、

蒙昧フローラ

2025.09.28-10.04 09.28(日) 想像の3倍くらいダラダラして過ごす。娘もそういう気分だったのか、そればかりは、わたしにもわからないのだが、終始パジャマでiPadを観ながらソファでだらけている。ぼくも、起きたり寝たり、布団を上げて、また少し本を読んで、そのへんのドーナツを食べて、また布団を敷いて寝たりしていた。妻だけが外出用の服に着替えて、夕飯の買い出しや昼食はどうするのか、と気を揉んでいるのだが、今日ばかりはThe Damnedばりにニートを極めているわたしと娘は、気のない素振りというか、YESともNOとも言えないみたいな、真剣に善処したいとは思っている的な、政治家の答弁みたいなことを二人して繰り返し、相変わらずソファでだらけていると、いいかげん、妻が激おこ。ひとりランチへ出かけ、本日は別行動となる。 わたしたちは、前日に買ってあった「バックギャモン」を出してきて、娘とルールを確認しながら熱中。その後、なんだかんだ腹が減ったので、ふたりで、Sへ。大人びたサンドウィッチとアイスを食べる。 09.29(月) 9月もラスト2Days。 「バッチリ準備しました

冴子は砕け散った

2025.09.21-09.27 09.21(日) 通っている音楽教室の発表会ライブがあり、ライブハウスへ。出番はトリでJimi HendrixのFireという楽曲を演奏。同教室主催の「ビートルズセッションライブ」でもそうだけれど、『バンドで練習してライブにかける』のではなく、自分のパートをひとりで練習し、仕上げていき、本番一発でその場のメンバーで合わせるというのは非常に修行になるし、楽しい。発表会ということで、メンバーは講師陣が担当しており、これもプロと一緒に演奏できるというのは、なかなか刺激的で勉強になるものであった。会場、大盛り上がりでフィニッシュ。 音楽教室で楽器を練習し、発表会に出るなんていうのは、20代の頃の自分にとってはまったくロックンロールではなく、世の中のすべてを斜に構えて生きていたので、そういったものを小馬鹿にして毛嫌いして生きてきた。が、老若男女、市井の人たちが楽しく音楽を演奏し(そして昔対バンしていたような、尖った人たちよりも、よっぽど演奏が上手な人もいて)、それぞれがそれぞれのペースで高め合っている感じは、なかなかに素晴らしいものであり、まあ老いたとい