冴子は砕け散った

2025.09.21-09.27


09.21(日)

通っている音楽教室の発表会ライブがあり、ライブハウスへ。出番はトリでJimi HendrixのFireという楽曲を演奏。同教室主催の「ビートルズセッションライブ」でもそうだけれど、『バンドで練習してライブにかける』のではなく、自分のパートをひとりで練習し、仕上げていき、本番一発でその場のメンバーで合わせるというのは非常に修行になるし、楽しい。発表会ということで、メンバーは講師陣が担当しており、これもプロと一緒に演奏できるというのは、なかなか刺激的で勉強になるものであった。会場、大盛り上がりでフィニッシュ。

音楽教室で楽器を練習し、発表会に出るなんていうのは、20代の頃の自分にとってはまったくロックンロールではなく、世の中のすべてを斜に構えて生きていたので、そういったものを小馬鹿にして毛嫌いして生きてきた。が、老若男女、市井の人たちが楽しく音楽を演奏し(そして昔対バンしていたような、尖った人たちよりも、よっぽど演奏が上手な人もいて)、それぞれがそれぞれのペースで高め合っている感じは、なかなかに素晴らしいものであり、まあ老いたといえば老いたのかもしれないけれど、うまく演奏できたほうが、よりロケンローもキマって楽しい。そして今日のような日に、純粋に、音楽やっていて良かったなと思える。

夜。Tにて家族で会食後、町をパトロール。深夜にミスドを争奪するなどして、一日を終える。Let me stand next to you fire.

09.22(月)

明け方から娘が発熱。

嘔吐を繰り返すなどしていて、小児科へ連れて行く。昨夜、Tで夕飯を食べているときには、異常なくらいテンションが高く、「箸が転げてもおかしい年頃」というのは本当にあるのだなと思うくらい、ひとりでずっと笑い転げていたのだが、あの時、すでにもう発熱していたのではないだろうか。

色々心配していたが、なんとなく午後くらいから症状が落ち着いていて、本人はiPadでポケモンとドラえもんを交互に観ている。

20時前に寝かしつけ。

娘は食欲もないし、わたしもタイミング的に夕飯を食べていなかったので、23時前に猛烈に空腹。家にあるものでクリームパスタを拵え、食べる。若干悪寒がするような気もするので、ニンニクを大量にぶち込んで食べて、寝。

09.23(火)

10時くらいまで寝てしまい、おかげで完全に回復。最高に調子が良い。

祝日ということでお城の前などの通りが混雑していた。
娘を連れて、散歩。

Sによって友人も誘い、Lで焼きカレー。娘はハードなパンケーキを食べていた。

夜。昼間に友人から進められたドラマを配信で観る。あまりに体調が良いのと続きが気になってしまい、全話一挙に観てしまい、結局3時就寝。

09.24(水)

具合が悪い。

明らかな寝不足により風邪がぶり返してしまった。

昼、ラジオ収録。体調がかんばしくなく、歯切れの悪いトーク。

夜、家族とはべつに、ひとりで駅前の家系に近しいラーメン屋にてニンニクを大量に入れて食べ、帰宅。22時就寝。

09.25(木)

前夜のニンニクの効果が少し効いているのか、そこそこの感じ。

今日は無理せず、早めに寝ることを誓。

90年代テレビCM集などをYoutubeで観ながら、0時前に就寝。

09.26(金)

夜。無駄は貸し切り。

「水曜どうでしょう」という四半世紀前に終了したはずの北海道ローカル番組が、令和の世にもそこそこ巨大なカルトとして人気であり、そのファンイベント前夜祭が弊店にて執り行われた。

出演者はひとりも来ないのに、この20年くらいで、ディレクター2人がもはやスター化しており、前夜祭も50名近くの来客。おおわらわであった。

疲労コンバインだったが、わたし自身、お国柄、小さい頃からよく観ていた番組であり、実際、感慨深くて嬉しかったのだけれど、それよりも、なによりも、うちのお客さん含めて、みんなが非常に楽しそうで、「呼んでくれてありがとう」と感動していたのが、いちばん良かった。幸。

09.27(土)

水曜どうでしょうファンインベント本番。

前夜祭の疲労がそこまで残っていなかったので、小田原城まで登城。妻娘は美容院に行っていたので、ひとりで向かう。ほぼ昨夜、いや今朝方まで一緒にいたメンバーと再会。だいたい毎回いつも同じメンバーと再会。

こちらに移住してきてから、日中の城内イベントでこんなに人が集まっているのを初めて見た。っていうくらい人が出ていた。

さらにこの日は、小田原駅周辺で別のイベント(3つくらい)も、違う場所で開催されており、人がよく出ていた。

無駄としても、わたしとしても、5月の北条五大祭りくらいから、毎月ぶっ通しで色々と突っ走ってきたのが、ちょうどこのイベントをもって、一区切りついた感じ。

お疲れさまでした。

BRAKE ON THROUGH TO THE OTHERSIDE.

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眠らない教皇

2025.12.7-12.13 12.7(日) 宮小路バル、無駄歌謡祭、と大きめのイベントをすべて終えて、さぞや疲労コンバインだと思っていたのに、わりと心身が元気。家族でA珈琲店にてブランチをとり、さあ、今日はどうしましょうね。ということに。 このHP/MPならいけるのでは?ということで、シセロシスコの個展最終日に赴くため、東京、小伝馬町へ。 途中、1年分の生活費によって溜まったクレジットカードポイントを消費するため、日本橋の三越という、百貨店中の百貨店。もはや絶滅危惧種と言っても過言ではない、百貨店という建物で、娘と迷子ごっこを楽しみながら、食品売り場がある地下で、高い肉などを郵送してもらう段取り。肉屋では明らかな東京の中央区のマダムが「ぁたくし」という一人称を使って、わたしたちよりも高価な、はるかに高価な、サシの入った肉を注文している。すげえ量。 個展に手土産でも、ということで、お菓子売り場をウロウロしていると、かわいいマカロンが売られていて、色とりどり。娘とこれはいいね、なんて言って、手土産用に買おうと思ったら、14個入り7000円。嘘だろ。向かいには十勝おはぎのサザ

虹が溶けていく

2025.11.30-12.6 11.30(日) 妻が昼から推しのヴィジュアル系バンドKのライブに行くので、午後から娘とダラダラ過ごす。2日間の「宮小路バル」をやりきって、無事に大盛況で終わって、その安堵感もあるのだが、疲れてはいるけれど、ずっと眠るというわけでもなく、というのも、明日は無駄で落語会、週末は年に一度の「無駄歌謡祭」と、あと残り2イベントを残しており、休むに休めないというか、なんか、そういうので、ダラダラしつつ、娘とドラえもんのカードゲームなどをやる。日本語がある程度読めるようになっており、ルールブックを読み、初体験のわたしに対してレクチャーをしながら、ゲームを進める。負ける。 よる。静岡方面から、バチバチにアーティスティックなお二方をお迎えして、シセロシスコとわたしと娘と一緒にTで会食。途中からライブ帰りの妻も合流して、鴨肉を食べる。 12.1(月) ひる。ステージ上に高座を作り、落語会の準備。 よる。今年二回目の落語会は、前回同様、超少数で贅沢な距離感でライブの落語が聞けるスタイル。十二月の初っ端から、

地雷原のモグラ

2025.11.23-11.29 11.23(日) 昨日から北海道北見市に家族で滞在。2日目。 昼。念願だった「回転寿司のトリトン 本店」へ行き、6歳女児も積極参戦して3人で32皿くらいを食べる。 散々っぱら、魚を食べた後、友人の車で40分かけて「山の上の水族館」という、全国に1つしかない淡水魚オンリーの水族館へ。わたしが小さい頃から、この、道の駅的な場所はあったけれど、水族館はなかったので、娘を散策させ、楽しんでいた。幻の魚「イトウ」や「ティラピア」の巨大さ。大きい魚は原始を感じさせる。 当時、水族館は存在しなかったけれど、ここは、小さい頃に両親によく連れてきてもらった場所で、妹も一緒に遊んだ記憶が蘇る。ノスタルジア。象徴的な建物をバックに娘の写真を撮り、当時の記憶を共有する唯一の存在である妹に、思わず送る。人生は、同じことのようで違うことの繰り返し。違うことのようで同じことの繰り返し。 11.24(月) 朝早くの飛行機に乗り、

薬漬けのトンビ

2025.11.9-11.15 11.9(日) 妻。夏前から推していた若手俳優のサイン会?手渡し会?に行く。 午前中にTOKYOへ出立して、昼前後にイベントを終え、その後、横浜でバンギャ仲間と飯を食い、夜は宮小路へ帰ってきて、こちらにいるバンギャ仲間と飲むという、1日3アポのスケジュール。遊び散らかして、満足気に帰ってきた。 わたしと娘は、つかず離れずというか、なんかそれぞれの部屋で、絵とか描いたりしながら、Uにて晩ごはんを食べたりして、仲良く暮らす。 11.10(月) 遊び疲れて、くたばる妻。 昨日ようやく会えた、夏から思い続けていた念願の男は、非常に美しかったが、毒気がなく、物足りなかったとのこと。「やはり私は遺伝子レベルでバンギャ。」との弁を述べながら、疲れ果てている。 先週購入したシセロシスコの絵が届いたので、作者と一緒に額縁屋で額縁を選び、作者自らの手によって、わたしのお店に飾ってもらう。ゴールデンなマリアージュ。無駄無駄しさが増しました。 11.11(火) 昨日に引き続き、シセロシスコとコーヒーを飲みに行く。