海の底から

2025.09.14-09.20


09.14(日)

縁あって実現できた、DJイベント当日。

DJ陣3名もお客さんも、鎌倉や東京から、遠路はるばる来てくれて、とても盛り上がった。準備しながら15時まで店で(今夜来るDJの)ラジオ生放送を聴いていて、「これから小田原へ行ってDJイベント!」と言ったその3時間後に、ご本人登場という体験が、個人的にはとてもグッときた。

最後は光栄なことに、リクエストいただき、飛び入りで一曲歌わせてもらう。これもステージの呼び出しまで(ふだんフジロックのステージでMCをやっているDJに)やってもらって、感無量。ムダロック。

また来年もやりましょう、と言ってくれて、幸。

集合写真を見ると、演者も客もわたしもスタッフもみんな、とてもいい顔をしている。「できあがった空間」というのは人間関係が作り出すアートのなかでも、極上のものだと思う。

娘は、二階店舗のカレー屋さんご夫婦の子と、二階で遊び通しており、妻も全力でイベントのほうを楽しめたということ。これも幸。

09.15(月)

昨夜のイベントの真裏の時間帯。お店の紹介でテレビ番組にチラッと出演していたのだが、我が家にはテレビがなく、というかそもそもイベント中で観られず、お客さんから動画が送られてきたりしていたのだが、きちんと見逃し配信で通して観る、朝。

わりと良いことを言っている。我ながら。

銀座で呑み狂っていた頃にお世話になっていたお姉さまから、10年ぶりにメッセージが来るなど、斜陽産業といわれても、やはりまだまだテレビジョン(とくに全国ネットキー局)のパワーは強いのだなあと思った。

前夜、とても楽しいことがあり、まあ割と疲れたので、グダグダしたいところだが、今日は第3月曜日なので、月に一度の月曜無駄営業日。いつものメンバーを中心に盛り上がって、結局、今夜も楽しかった。

09.16(火)

ようやく一息つける休日。さすがにグダグダと過ごす。

昼食に出ようとしたところ、マンションの出入り口で、よく会話する住民のお姉さんと世間話。天気の話から趣味の話、最近の体調の話までをお互いシームレスにやり取りして、3分〜5分。こういう、なんの中身もない「世間話スキル」というのが歳を重ねるごとにレヴェルアップしている実感があるのだけれど、わたしよりもお姉さんのお姉さんは、やはりわたしよりも世間話がうまかった。

わたしの拙い人生経験上、この道すがらでの「世間話」というのが実は、身近なコミュニティ内でも、旅先など初めての場所でも非常に重要であり、つまり、意図せず他人とエンカウントした時に、お互い「いい感じ」「ベターな雰囲気」で気持ちよくすれ違う技術こそが、「世間話」なのだ。これは男性社会ではまあまあ軽視されがちな技術であり、おじさんは圧倒的に不得手な印象がある。

09.17(水)

ひとり、一泊で南伊豆へ。

北海度の外れで育ったせいか、内地は、訪れたことのない土地が意外と多い。今年は初めて九州にも上陸したし、日頃、小田原城下のみで暮らしていると色々と溜まるものもあるので、定期的にひとりで他所の土地に出向くことにしている。のだが、夏の暑さや娘の夏休みもあり、実にひさしぶりの一人旅。先々週くらいには「もう厭。人に会いたいくない」という症状が出ていたので、そろそろ限界だったのだろう。

南伊豆は神々しい、実にかみがみしい、土地だった。

宿の周囲にはコンビニすらなく、畑に囲まれており、先月、娘と稲取の動物園に行った際にも感じた、伊豆特有の、歴史の歩みから取り残されている町並み、雰囲気も存分にあった。松本清張のサスペンスとかで出てきそうな風合い。海の砂は白く細かく、海水は澄み切っており、わたしはこれまで、関東周辺の海でこんなに綺麗なものを見たことがなかった。そして、何よりも岩。岩。岩。ゴツゴツとした地球、アース、を感じる岩があちらこちらで海水から隆起しており、彼らが岩神のごとき面構えでこちらを見ている。これが圧倒的で、わたしの神秘的ハートをグイングインと突いた。

また、前述のとおり、宿は周囲に何もない場所に建築されており、夜中は静かさに包まれている。17:30にメシを食い、大浴場の温泉(これが塩辛く、神経症や身体の節々に効いた)に入ると、することがなく、マジで休むしかない環境であった。

20時ころからグダグダと布団に横になり、備えつけの大画面テレビジョンで、Netflixをダラダラと観ていると、さすがに小腹が減ってきて、フロントへTEL。「アイスクリームとか売って無いですか」「ありませんね、カップ麺なら」ということで、夜。知らない辺境の町、岩神様たちに無言で見守られながら、ひとりで啜る、出前一丁の味。

09.18(木)

宿を午前中に出て、宿のスタッフに駅まで送迎してもらった。送迎客はわたししかいなかったので、駅ではなく、龍宮窟という、海水が作り上げた半洞窟まで送ってもらう。浜辺に突如として現れる、吹き抜け構造を持ったドーム型の洞窟。岩階段を降りてドームの中に入っていくと、すぐに「ここから先は立入禁止」 の鎖が張り巡らされており、一瞬で見物が終わってしまった。ともあれ、すっぽりと窟内に入りこみ、吹き抜けの頭上から、いい感じに遮光された日光。眼の前の洞穴からは太平洋が波打って窟内に迫ってくる感じ、そしてこれが自然物であるというサムシング・グレートを鼻から存分に吸い込み、堪能した。3分間。

こんなに早く済むなら、宿のおじさんに、待っててもらえば良かった。と少し後悔しながら、GOでも呼ぶかと思って浜辺までもどったが、伊豆の最南端付近まで来てくれるGOタクシーはおらず、バスは一時間か二時間に一本。白い砂浜はサラサラとそよ風に磨かれていつまでも、きらめいている。知らない海辺で、途方に暮れている、休日の朝。

と、その時、宿から着信。

「お部屋にシャツ、お忘れです。サメの柄の。もう駅までついてしまいましたか」

「いいえ、龍宮窟まで送っていただいて、一瞬で見物してしまい、駅までの足もなく、途方に暮れておりました」

「それはそれは。であれば今から私が自家用車でシャツをお届けに参りますので、そのまま駅までお送りしましょうか」

「かたじけのうございます」

ということで、浜辺で30分近くひとりボツネンとして過ごし、先程とは別の宿のスタッフが自家用車でカム。海岸線でジッとしている岩神様たちに車中から別れを告げて、下田駅まで送迎してもらった。

南伊豆、回復の地として、とても良いところであった。

09.19(金)

夜は無駄。

先日、全国ネットのテレビジョンにも特集されたので、今日は混むよ、など酒屋のお母さんから言われたけれど、22時位までのんびりとした営業。22時過ぎからポツポツと来はじめて、結果満員御礼であった。最近ご無沙汰だったけれど、無駄初期を支えてくれたお客さんたちや、よく町で見かけるけど初無駄というお客さんたちが来てくれて、幸。

店でもなんでもそうだが、続けること、それ自体が価値を持つ。時間が堆積していくにつれて、風味や色合いや文様が厚みとなって表出していく。そういうものを手掛けながら余生を暮らしていこうと、ちょうど3年前くらいにわたしは、そう決めたので、それが折り重なって、少しずつ良い雰囲気になってきている。「偉大なるマンネリ」を目指し続けている。

大人の強制入院@南伊豆が効いたのか、体調が良い。

09.20(土)

ギターの練習やら読書やらをしながら過ごす。娘がカレーが良いというので、お夕飯はカレーライス。以前作り置きして冷凍していたものを解凍する手伝いを、彼女はしていた。鍋で固まったカレーをほぐし、溶かすような所作。

完全に涼しくなってきたので、今年も「サマーイズデッド」宣言をもう出してもいいかなと思う。5月の頭、ゴールデンウィークから9月の20日前後まで、ずっと暑い。つまり4ヶ月、一年は12ヶ月なので、およそ1/3は夏という国。それが美しい、日本。この夏は柄にもなく頑張った気がする。

夜はひさしぶりに自部屋で映画。

黒人(というか人種)差別をベースに描いた物語をハートウォーミングかつコミカルに描いたロードムービーであった。年齢を重ねると刺激物を身体が受け付けなくなってくる(過度な油や、辛いもの、アルコールなど)のと同じように、サイコパスが無茶苦茶やるような物語や、鑑賞後半年くらい引きずるような、子どもが悲惨な目に合う物語など、昔は嬉々として観ていたのだけれど、ぜんぜん受け付けなくなってきている。結果、ハートウォーミングなお話ばかり観ている気がする。

人は、自らの老いと一緒に暮らしていく。

BRAKE ON THROUGH TO THE OTHERSIDE.

Read more

デリシャス★ゴージャス

2025.10.19-10.25 10.19(日) 20年間といえば、赤子が成人するまでの年月であり、自分の人生においての体感としても、それ相応の時間(ヴォリューム的な)だと思うのだけど、20年前に横浜の外れにある大学で知り合った友人夫婦と、未だに親しく付き合いがあり、今日は、家族で来訪。家族での小田原来訪も、すでに10回を超える。 わたしが19歳、彼女が18歳のときに出会ってから、その一年後に将来の旦那となる後輩が入学しており、バンドをやったり恋愛したり酒を呑んだり酒に呑まれたりした、いわゆる「青春」がそこにあった。 その後、わたしが暗黒の20代を過ごしている間に、なんの因果か、ふたりは結ばれ、わたしも紆余曲折ありながら、今の妻と出会い結婚し、娘が生まれたのが同じ年。0歳の頃から、ときたま一緒に遊ばせ、毎年交流を重ねてきたので、娘同士も非常に仲が良い。 我が家は親戚づきあいがあまりなく、娘は従兄弟的な人もいないのだけれど、向こうの娘がそういう立場で、「東京に住んでいるHちゃん」「小田原に住んでいるRちゃん」という、互いに良い距離感の友人みたいになっている。 夕飯にイナダ

サイボーグは古傷を隠す

2025.10.12-10.19 10.12(日) 夜。 先月、無駄で開催してくれたビッグなラヂオDJ3名によるDJイベント「JOJOJO」が、今月は東京・新橋で開催されるということで、遊びに行く。 新橋・銀座エリアというのは、わたしが20代の9割以上を「溶かした」思い出の魔都であり、お店へ行く途中、路地の、通りの、交差点の、至るところに断片化した記憶が染み付いている。 会うのは先月ぶりなのだが、DJ陣には「行きます!」とも言ってなかったので、3人共、突然の訪問にとても喜んでくれた。この日はDJの一人であるジョージ・ウィリアムズがバースデイ当日ということもあり、誕生日祝の会も兼ねていた。 相変わらず、選曲も喋りもお客のノリも最高の空間で、ピースフルかつハートウォーミングなイベントで、まるっと3時間くらい盛り上がったのだが、本日、ジョージ・ウィリアムズのラストナンバーというタイミングで、なんとわたしのアナログレコードがプレイされる。わたしが、2月にリリースした曲、そのイントロ、ギター・リフがフロアに響き渡る。 それだけでも大興奮だったのだけれど、そのまま、

幸い通りの魔術師

2025.10.05-10.11 10.05(日) 昼。 町のいたるところで、同時多発的にいろんなお祭りやら外呑みやらイベントが行われている日曜日。すべてのイベントを横目にみながら宇崎竜童のコンサートへ。徒歩圏内にコンサートホールがあるのも贅沢なこと。最近は「お、これは」という催し物がちょこちょことあるので、嬉しい限りである。 会場は先日の芸者イベント同様、ここも「笑点のオープニング」と同じ感じの年齢層で固められていて、吉幾三ではないが「まったく若ぇもんはオレひとり」というような状況であった。ホール全体にナフタレンっぽい匂いがした。それもそのはず、竜童翁は来年2月で80歳。よく声は出ていたし、何よりパワー系のギターが格好良かった。提供曲のセルフカバーの他、ダウンタウンブギウギバンドの曲もたくさん演り、「ダウンタウンといえば浜田・松本ではなく、和田・宇崎である」わたしにとって、とても良いライブだった。 夜。 餃子を包みたいという娘の要望で、餃子を包むが、いつの間にか、わたしよりもよっぽど上手になっていて、彼女からの注意を受けながら、3つくらい包む。軽く餃子を食べたあと、風呂

蒙昧フローラ

2025.09.28-10.04 09.28(日) 想像の3倍くらいダラダラして過ごす。娘もそういう気分だったのか、そればかりは、わたしにもわからないのだが、終始パジャマでiPadを観ながらソファでだらけている。ぼくも、起きたり寝たり、布団を上げて、また少し本を読んで、そのへんのドーナツを食べて、また布団を敷いて寝たりしていた。妻だけが外出用の服に着替えて、夕飯の買い出しや昼食はどうするのか、と気を揉んでいるのだが、今日ばかりはThe Damnedばりにニートを極めているわたしと娘は、気のない素振りというか、YESともNOとも言えないみたいな、真剣に善処したいとは思っている的な、政治家の答弁みたいなことを二人して繰り返し、相変わらずソファでだらけていると、いいかげん、妻が激おこ。ひとりランチへ出かけ、本日は別行動となる。 わたしたちは、前日に買ってあった「バックギャモン」を出してきて、娘とルールを確認しながら熱中。その後、なんだかんだ腹が減ったので、ふたりで、Sへ。大人びたサンドウィッチとアイスを食べる。 09.29(月) 9月もラスト2Days。 「バッチリ準備しました