湿気トリートメント
2025.06.01-06.07
06.01(日)
町のバーベキューのお誘いを受け、家族で参加。
店からポータブルDJセットとEPレコード150枚くらいを持ち出して、海辺で歌謡曲DJをかました。4時間超えでブッ通しだったが、このセッティングで全国営業回れるのでは、という実感。陸橋の下は天然のリヴァーブがかかるし、「かもめが翔んだ日」で本当にカモメが眼の前を飛び交う姿が観られて、いとおかしグルーヴ。
娘も調子良く、年の近い近隣店舗の娘と遊び倒していた。楽しかったそう。
こういう野外・昼からイベントではよくあることだが、夕ごはんを食べるタイミングを完全に逸してしまい、なんとなく帰宅後に入浴。
21時ころ、家族全員で気絶したように眠りについた。
06.02(月)
天気もちょうどよいので昼食はカレー。
パクチーというカメムシのような味のする葉っぱを日本人が食べるようになったのは一体いつ頃のことなのか。最近のスパイスカレーには、かなりの確率でパクチーが入っている。昔のようにパクチーがまったく嫌いなままだったら、このカレーも食べられなかっただろうし、こうして週に1度の頻度で通ったりしなかっただろう。(パクチー抜きのオーダーができるとしても)
いまは無くなってしまったヴェトナム料理屋の店主が、パクチーを料理にうまいこと混ぜながら、そしてわたしのパクチー嫌いを承知しながら、克服まで丁寧に伴走してくれたおかげで、パクチーが食べられるようになった。今はどこで何をしているのかわからないけれど、感謝。
ちょうどその頃、全国的にカメムシが大量発生するようになり、今までそこまで遭遇の機会がなかったカメムシのことは、心底嫌いになった。
06.03(火)
どしゃどしゃの降り。
連日、気圧・気温の乱高下で体調がダウナー。
「晴耕雨読の暮らし」というのは、とても自然で理にかなっている。
実際、無為自然に任せていると、日々の天気の変化ごときで、体調や気分や考え方までがクルクルと変わってしまうのだが、地球規模のスパンで考えれば、人が人になってからの時間は圧倒的に短く、「野生」が残っているのが当然、という気がする。町の野良猫を見ていると、実に無為自然に抗わずに暮らしているのがわかる。
なので、最近は外部環境の変化に対して、体調や気分や考え方がクルクルと変わってしまうのが野生としてのデフォルト設定である、と考えており、極力、無為自然の変化に抗わずに野良猫のように暮らしている。だるいものはだるい。
夕飯時、娘が荒ぶったので、娘サイドの弁護人として肩を持ち、妻を説諭するなどしていたら、突如、娘が反旗を翻し、「パパがママに意地悪をいうので嫌いだ」と、わめき散らかされる。かけたハシゴを外されるどころか、オイルをかけて燃やされた気分。
わたしはそそくさと食事・入浴を終え、部屋に引きこもった。すると娘は、就寝前にトコトコとやってきて、本人から復縁を打診。一度火がつくとイライラが抑えられず、ついキツく言ってしまうとのことなので、あまり引きずるのも良くないわね、と思い、これに応じる。
野生の暮らしは、こういうところにも残っている。
06.04(水)
喧嘩したり仲直りしたりしながら毎日を送っている。
昔を振り返ると、わたし自身もそうやって親(とくに母)と接してきたので、螺旋のように一周回った世界で、今度は娘と同じことをやっている。
先日、天井までの本棚を作り上げ(懇意にしている職人が)、さらに自部屋が快適になってしまった。本棚のTOPからは130型くらいのスクリーンカーテンを取り付けてもらい、プロジェクターで自宅映画館も可能。逃げ込むには最適な書斎環境が構築されていて、まあ揉めたらパパが部屋に引き籠ればいいかな、と思っている。
夕飯前、例のごとく何の前触れもなく娘の機嫌が良くなる。
トランプを持ち出してきたので、神経衰弱を一戦。
惜敗。
06.05(木)
午前中、Rにてパーソナルトレーニング。
チャンプ自ら、1on1で60分間やってくれるので、満足度が高い。総合格闘技の動きを中心に殴ったり、蹴ったり、倒されたり、起き上がったり、匍匐前進したり、掴まれたり、解いたり、逃げたりと、無我夢中で終わる。
海の底での暮らしが長いので、陸上の運動はこの世で最も苦手な活動のひとつだったのだが、わたしの胸中で、平成少年ジャンプ世代の男の子が騒いでいるのだろう、トレーニングは隔週で続いており、もうすぐ1年くらいになる。2分間のミット打ちが、2〜3セット続くようになってきている(ヘトヘトだけど)し、右のミドルキックがサマになってきている。
遺伝子が9割の人格・才能を特徴づけるのが事実だとしても、自分だけで自らの才能を厳密に査定し、育成することは、ほぼ不可能であり、良き環境と良き師がいることで発芽条件が大きく変わってしまう。(特に大人になってからの)得意・苦手というのは、幼い頃のトラウマ的経験が原因で、歪んだ認知になっている場合もある気がする。
「何事もやってみないとわからない」というのは、100%いつでも正しいわけではないけれど、環境が変わった場合には、価値があるフレーズだと思う。
06.06(金)
29度まで上がった気温。
例年この時期には、すでに夏バテでくたばっていることが多いのだが、今年はなんかまだ全然いけている。はりきゅうに通っているおかげだろうか。
娘が帰還。
「暑いのでアイス行かない?」
と誘い、OKをもらう。
めちゃめちゃ機嫌が良い。
Sにて、ふたりでアイスを食べ、帰りは城内の紫陽花を見に行き、ツーショット撮影。
「明日は運動会なので、今日は宿題が無い〜!」
とのこと。
夜は6月一発目の無駄営業。
お馴染みさん、ご新規さん、入り乱れの楽しい夜。
最近、東京や横浜、京都など、別の街から、遊びにくる人がちょこちょこといる。駅からタクシーでダイレクトに町に来て、この町の中でハシゴ酒して一泊していく流れ、とても素敵だと思った。
06.07(土)
はじめての運動会。
小学校の運動会というのは、我々の時代は一大行事であり、遠方から祖父祖母、中には親戚までを呼ぶ者もいて、大勢が集い、前夜から母らが巨大な弁当を詰め、必ずなぜかアメリカンチェリーをそこに入れて、当日朝から父とともにブルーシートやパラソルを並べ席を取り…、というような、要は花見の代替えのようなイベントであった。
朝から始まり、各種種目を行い、夕方にヘトヘトで終わるという日だったことを鮮明に記憶しているのだが、令和の小学生の運動会はそういうものではない。
午前中から始まった運動会は2時間半くらいで終わってしまう。我が子の出番はなんと二回。徒競走すらない。
去年まで通っていた保育園が少数精鋭で、各種行事もボリューミーかつ手厚かったせいか、若干の物足りなさを感じつつも、しっかり踊り、玉入れをしている娘をカメラで撮りながら、父業をこなす。
児童数も多いだろうしと、望遠レンズをつけて持っていったカメラが良い働きをしていたので、直前に知り合いの子の出番や観客席にいるその親を撮影するなどして遊んでいたところ、たった二回しかない我が子の出番直前で、電池が切れてしまい、妻もお切れ遊ばせになった。
BRAKE ON THROUGH TO THE OTHERSIDE.