夕焼けバイオレット

2025.08.31-09.06


08.31(日)

金、土、と働いてからの日曜日は、ダブル・ブッキング。

無駄に講談師を呼んで「無駄講談」をやりながら、駅地下のマルシェにてグッズと中古レコード販売のポップアップストアを出店という、「なぜこのクソ暑い時期に、しかもこの連勤のタイミングで?」と、わたし本人が一番疑問に思って起きた朝。昨夜の満員の、というか今週は、昼夜問わずに、かなり店を使ったので、そういう類の疲れが、ぜんぜん残っているけれど、下がりきらぬテンションで起きられた。昨夜も手伝ってくれた有能なスタッフと、わずか8時間ぶりに合流して、手分けして分担。駅地下のほうには妻と娘も途中参戦し、わたしはつつがなく、講談の会を仕切ることができた。

両イベントともに、満足いく結果。

お客さん、ご協力いただいた皆さん、ありがとうございました。

そして俺、お疲れ様でした。

09.01(月)

ちょっと、さすがに疲れていて、今日は、一日中グダグダしていようと布団でグダグダしている。

昨日の講談にも来ていた、無駄のお客さんから

「ここ数日ちょっと、働きすぎじゃない?心配なんだけど」

と、3日連続で労働をすると「働きすぎ」を心配される、超絶ホワイトなキャラクター設定なんだけど、やはりこれは的を得ていて、人体としてのアーキテクチャーが、つくづく労働に向いていない。

40日ぶりに学校へ登校した娘は、荒ぶることなく放課後を過ごし、わたしは疲労がわかりやすく身体に発現、また背中を捻って、痛い痛い言いながら、心を落ち着かせるために絵を描き、一度だけ「さんすうの宿題」で揉めはしたけれども、比較的穏やかに過ごした。

背中が痛くて、寝返りが打てない。

09.02(火)

朝から、はりきゅう治療。

夏の疲れが皆さん身体に出ていて、この1週間でわたしと同じように、背中や首を痛めている人らが相次いでいるとのこと。毎日、ドアを開け、外に出るたびに、同じような気温・湿度が肌にまとわりついてきて

「もう、いやだぁぁ、かんべんしてくださぃぃ」

と、比喩じゃなく、実際に声に出してしまう。それを聞いて、傍らでケラケラと笑う娘。

痛みはだいぶ楽になったが、先週の疲れがまだまだ残留しているので、安静に過ごす。毛根の健全な暮らしのために、ノーポマードで、髪の毛も休ませる。

夜。家族全員でルービックキューブと格闘。

09.03(水)

夜中の1時前まで、妻はルービックキューブと戦っていたらしく、一面だけを揃える「一面のお仕事」は完璧になっていた。わたしは昨夜、一足先に「一面のお仕事」をクリアしており、今日の午前中は二面以降にチャレンジ。

そもそも、「一面(いちめん)のお仕事」というのは、まだ娘がもう少し幼い頃に生成したジョブで、マリオやドンキーコングなど、ステージを攻略するタイプの横スクロールアクションゲームにおいて、当時の彼女はまだ操作が不得手だったので、いわゆる「1-1〜1-7」までの一面を専門に担当されており、その際に「うちは一面のお仕事をやります」と宣言してプレイしていたのが、われわれ夫婦のツボにハマって流行語になった、我が家用語である。

ルービックキューブは文字通り一面〜六面までを揃える遊びなので、ここでも「一面のお仕事」が発生していて、わたしたちは四苦八苦しながら、およそ1日をかけて、それをクリアしたのであった。が、二面以降、難易度がグッと上がってしまい、みんなで悶絶している。

夕方。わたしが世話になっている楽器屋にて、妻がベースギター・スターターキットをレンタルするというので、娘と随伴。ちょうど喫茶店ポップアップイベントもやっており、知り合いも複数名いて和気あいあいの夕暮れ。帰宅後、空が異常な茜色に染まっていた。

09.04(木)

午前中から、ボンボン、ベンベンとベースの練習に励む妻。

興味がないことにはこれっぽちも食指が動かないが、一度、なにかにハマると「すこし、休み休みやったら?」と周囲が心配するレヴェルで没入する設計をしているので、指が疲れた、とか、肩が重い、とか言いながら、スキマ時間を見つけてはベースを訓練している。

夜は、Uにて串カツ。この夏、何回目だろうか。家族全員でハマってしまった。
満腹子ちゃん。

妻はそのまま夜のアルバイトへ行くので別れ、娘とふたりで帰宅するところだったが、まだ寝るまでは少し時間があるので、Rにてアイスクリームだけ注文。

カウンターには、Rの店主夫婦が川で捕獲してきたカニが水槽の中で蠢いている。ハサミの部分にふわふわとした毛のついた、可愛らしいカニだったが、身体の大きな個体が、身体の小さな個体の方をしきりに威嚇・攻撃し、なんなら片脚はすでに一本食べられている。その様子を観察しながら、二人でアイスを食べる。

娘は、大きいカニが攻撃の様子を見せ、小さいカニのほうに進軍するたびに、水槽の外から、おしぼりを使って攻撃を止めようとしていた。

「やめろー、あっちへいけー」

遠方の外部から平和を訴える国連のごとき運動では、勢いに乗る大カニの進軍は止まらず、徐々に追い詰められ、逃げ惑う小カニ。アイスクリームはとっくに食べ終えていたが、ふたりで観察を続けた。圧倒的外部者。無力なわたしたち。

すこしして、硬直状態が続き、いい加減に飽きてきたので、帰宅。
娘は帰路、来年の夏休みは、一緒に川にカニを獲りに行く、と珍しく積極的なチャレンジ宣言をされていた。

ちなみに、カニは大小二匹とも、その日のうちに同じ釜で仲良く茹でられ、食べられたとのこと。

09.05(金)

週に一度しか、レギュラー営業のしない店だというのに、朝から台風による大雨警報が鳴り響いている日。なにも金曜に来なくても。

せっかく始まった学校もさっそく休校の案内が出てしまい、外は横殴りの雨だし、家族全員部屋に軟禁。延々とプリキュアを観ている人と、ルービックキューブをガチャガチャ動かしている人と、ボンボンとベースを弾いている人と、それぞれが勝手に生きている。

夜は無駄。

夕方からサラッと晴れて、なんなら涼しい感じだったのだが、町に人は出ていなかった。20時半までノーゲストという状態で暇だったので、ギターを抱えてお外をウロウロしていた。流しでもやったほうが小銭が稼げるのでは?と思っていたが、20時半の1名様を皮切りに、徐々に人が集まり、23時前に満員。

こういう災害や天気などで人が出ていないときには、決まって、宮小路の町の民が駆けつけてくれる。偶然かもしれないけれど、とても嬉しい。

仕事終わり、Nにて夜食。

無駄のご常連も先に来店していたり、我が妻の昨今のヴィジュアル系推しの流れもあり、久しぶりに(小田原では初めて)、カラオケで清春を演り、場をロックしてきた。その流れで、ふだんあまり歌うイメージのないお客さんが、L'Arc~en~Cielを歌い、これがまた良かった。

わたしたちの世代はヴィジュアル系を確実に通ってきている。

表立って言わないだけで。

09.06(土)

少し、秋。

わたしは、ダラダラと寝ていて、正午すこし前くらいに起動し始めた。
娘は、ダラダラとipadでプリキュアを片っ端から観ている。こういうところに、妻譲りのギーク(オタク)の血が、色濃く出ている。

気づくと、14時位になっていて、昼飯を全員で食べそこねていることに気づく。過ごしやすい陽気なので、久しぶりに少し歩いて遠出。Eにてベーコンチーズバーガーなどを食べる。

夜。

変な時間にボリュームのあるハンバーガーを食べてしまい、その後2時間くらい、昼寝してしまったので、夫婦揃って全く空腹にならない。娘も「茶漬けでいい」と、二日酔いのときのお父さんのようなセリフを吐くので、彼女にだけ茶漬けを提供する。妻は、22時過ぎくらいに「メシはいらないのだけど、一品なにかつまみに行くか」ということで、夜の町へパトロールへでかけた。

23時。少し空腹を感じたので、食品棚の奥にあった、S-No.1(塩)をつくる。みじん切りしたネギとごま油を添えて。夜中のインスタントラーメンの味。沁みる。

BRAKE ON THROUGH TO THE OTHERSIDE.

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デリシャス★ゴージャス

2025.10.19-10.25 10.19(日) 20年間といえば、赤子が成人するまでの年月であり、自分の人生においての体感としても、それ相応の時間(ヴォリューム的な)だと思うのだけど、20年前に横浜の外れにある大学で知り合った友人夫婦と、未だに親しく付き合いがあり、今日は、家族で来訪。家族での小田原来訪も、すでに10回を超える。 わたしが19歳、彼女が18歳のときに出会ってから、その一年後に将来の旦那となる後輩が入学しており、バンドをやったり恋愛したり酒を呑んだり酒に呑まれたりした、いわゆる「青春」がそこにあった。 その後、わたしが暗黒の20代を過ごしている間に、なんの因果か、ふたりは結ばれ、わたしも紆余曲折ありながら、今の妻と出会い結婚し、娘が生まれたのが同じ年。0歳の頃から、ときたま一緒に遊ばせ、毎年交流を重ねてきたので、娘同士も非常に仲が良い。 我が家は親戚づきあいがあまりなく、娘は従兄弟的な人もいないのだけれど、向こうの娘がそういう立場で、「東京に住んでいるHちゃん」「小田原に住んでいるRちゃん」という、互いに良い距離感の友人みたいになっている。 夕飯にイナダ

サイボーグは古傷を隠す

2025.10.12-10.19 10.12(日) 夜。 先月、無駄で開催してくれたビッグなラヂオDJ3名によるDJイベント「JOJOJO」が、今月は東京・新橋で開催されるということで、遊びに行く。 新橋・銀座エリアというのは、わたしが20代の9割以上を「溶かした」思い出の魔都であり、お店へ行く途中、路地の、通りの、交差点の、至るところに断片化した記憶が染み付いている。 会うのは先月ぶりなのだが、DJ陣には「行きます!」とも言ってなかったので、3人共、突然の訪問にとても喜んでくれた。この日はDJの一人であるジョージ・ウィリアムズがバースデイ当日ということもあり、誕生日祝の会も兼ねていた。 相変わらず、選曲も喋りもお客のノリも最高の空間で、ピースフルかつハートウォーミングなイベントで、まるっと3時間くらい盛り上がったのだが、本日、ジョージ・ウィリアムズのラストナンバーというタイミングで、なんとわたしのアナログレコードがプレイされる。わたしが、2月にリリースした曲、そのイントロ、ギター・リフがフロアに響き渡る。 それだけでも大興奮だったのだけれど、そのまま、

幸い通りの魔術師

2025.10.05-10.11 10.05(日) 昼。 町のいたるところで、同時多発的にいろんなお祭りやら外呑みやらイベントが行われている日曜日。すべてのイベントを横目にみながら宇崎竜童のコンサートへ。徒歩圏内にコンサートホールがあるのも贅沢なこと。最近は「お、これは」という催し物がちょこちょことあるので、嬉しい限りである。 会場は先日の芸者イベント同様、ここも「笑点のオープニング」と同じ感じの年齢層で固められていて、吉幾三ではないが「まったく若ぇもんはオレひとり」というような状況であった。ホール全体にナフタレンっぽい匂いがした。それもそのはず、竜童翁は来年2月で80歳。よく声は出ていたし、何よりパワー系のギターが格好良かった。提供曲のセルフカバーの他、ダウンタウンブギウギバンドの曲もたくさん演り、「ダウンタウンといえば浜田・松本ではなく、和田・宇崎である」わたしにとって、とても良いライブだった。 夜。 餃子を包みたいという娘の要望で、餃子を包むが、いつの間にか、わたしよりもよっぽど上手になっていて、彼女からの注意を受けながら、3つくらい包む。軽く餃子を食べたあと、風呂

蒙昧フローラ

2025.09.28-10.04 09.28(日) 想像の3倍くらいダラダラして過ごす。娘もそういう気分だったのか、そればかりは、わたしにもわからないのだが、終始パジャマでiPadを観ながらソファでだらけている。ぼくも、起きたり寝たり、布団を上げて、また少し本を読んで、そのへんのドーナツを食べて、また布団を敷いて寝たりしていた。妻だけが外出用の服に着替えて、夕飯の買い出しや昼食はどうするのか、と気を揉んでいるのだが、今日ばかりはThe Damnedばりにニートを極めているわたしと娘は、気のない素振りというか、YESともNOとも言えないみたいな、真剣に善処したいとは思っている的な、政治家の答弁みたいなことを二人して繰り返し、相変わらずソファでだらけていると、いいかげん、妻が激おこ。ひとりランチへ出かけ、本日は別行動となる。 わたしたちは、前日に買ってあった「バックギャモン」を出してきて、娘とルールを確認しながら熱中。その後、なんだかんだ腹が減ったので、ふたりで、Sへ。大人びたサンドウィッチとアイスを食べる。 09.29(月) 9月もラスト2Days。 「バッチリ準備しました