スマホを眠らせ、思いつきを増やす
100の思いつきのうち、実際に行動できるのは5個くらい。そのうち続けられるのは3つくらい。ものになるのは1つくらい。もちろん運や遺伝的な設計や現在の環境にもよる。
「人生は趣味」をモットーとする、毎日が余生派におすすめするのはやはり、おもしろアンテナを磨き込み受信感度を高めておくこと。一年で300くらい面白そうなモノを思いついていれば、3年くらいで3つくらいは、ものになる趣味が続いている体感。割り戻すとだいたい1年、1つずつという感じだととてもうまくいっている。理想的。
そして思いつきというものは無からは決して産まれないので、その10倍くらいのインプットが必要、インプットといっても、これは本や映画などいわゆるマテリアルからのものだけではなく、新しい人と友達になったり、おしゃべりしたり、知らない町を歩いてみたりというインプットも含まれる、というかそっちのほうが日頃の暮らしの中でインプットとしての割合は大きい。
そしてなぜ、こんなことをする必要があるのかというと、暇だから。 おそらく人生で一番時間的にはハードであろう幼児の子育てをしている現在ですら、やはり暇。まあいまこのときはやっぱり自分の時間は少ないのだけれど、なんなら少し先の将来がうっすら見えて、そこの暇を前借りしている感じの暇。暇というのは、人間、いや近代以降の人間なのかな、まあ現代人にとってはたいがい恐ろしく。暇を感じる脳みそ、精神をうまい具合にマネタイズ、錬金の源にされているのが現代人。いわゆる無限に繰り返されるショート動画や知人友人の近況をリアルタイムに通知してくるSNSをサービス提供していくビッグテックの事業は究極的には依存性の高い暇つぶしを売っている。スマホはそれ自体は冷静に考えれば、片手で持ち、操作するにはちょっと重すぎる・大きすぎるのだが、その道具としての特徴的な歪さを無視しても、人々に触り使われるのは、暇を埋めてくれる魅力的かつ悪魔的なソフトウェアサービス群のなせるわざなのだろう。
ということで、スマホとの接触時間を減らし、そのほかの道具を使った趣味、に暇を食わせていく。そのために、これもまたスマホとの接触時間を減らし、特定のレコメンドアルゴリズムの外で出会う刺激的なインプット(セレンディピティ的なやつ)に触れ、思いつきを増やしていくこと。そのうち5個くらいは実際に試してみること。そうすると3つくらいは続き、1つくらいはものになる。そのとき、それは趣味になり、趣味に没頭しているその時間は、暇からもスマホからも解放されている。