大人は思い出を食べて生きている
カラオケを置かず、生音と大量の歌謡曲レコードを準備して酒場をやっている。
歌いたい人というのは一定いるものだが、それと同じくらい歌いたくない人もいる。
いや、歌いたくないというよりは人前でマイクを通してソロで歌うことに抵抗がある人もいる。そんな人たちも、じゃあまったく音楽を嗜まないかというと、音楽酒場に来ている以上そういうことは、あまりない。 レコードの良い質の音源を爆音でかけることで、みんなあの頃の思い出に浸り、小さな声で口ずさむ、身体を揺らすなどして愉しんでいる。音楽はやはり「癒やし」であることが、こういった店を始めてわかった。そして、さらにいうと、音楽の効果はそれはあるのだろうけど、思い出。思い出に浸る。思い出を思い返しつまむ。思い出を食む。この行為におそらく大きな癒やしがあるのではないだろうか。と、お客さんの様子を見ていると思う。もう二度と帰ってこない思い出は記憶の中で死んでしまったように見えても、しっかりと脳のどこかで断片が生きている。それぞれのストーリーは切り離され、その断片ですら変質し、そもそもの事実と大きく異なった姿形になっていたとしても、その思い出をフラッシュバックさせる力が音楽には、ある。そしてその個別の思い出を別々の時代・場所で生きたであろう人らと共有しあうことができる。酒のツマミに歌謡曲。思えば昔から酒場にはギターの流しがそぞろ歩いていた訳だ。南方帰りのサラリーマンは酒場で見知らぬ誰かと軍歌を熱唱していた。
それぞれの思い出をアテに人々とその瞬間を共有し合う。 酒場本来のプリミティブな姿が、音楽・歌謡曲を媒介として立ち現れてくる。 レコードは3000枚近く。8cmシングル、通称短冊シングルも500枚を超えた。 「思い出はいつも綺麗だけど、それだけじゃお腹が空くわ」 と歌ったのは20代前半の少女だが、人は年をとると思い出を食むだけで腹も満たされる。